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難波江 功二さん
国連インフルエンザ対策調整事務局(UNSIC)アジア太平洋事務所
地域調整官

 

難波江 功二(なばえ こうじ):1998年浜松医科大学卒業、2003年ハーバード大学公衆衛生学修士取得。東京災害医療センター等での勤務の後、厚生労働省に入省。医療政策、環境保健、食品安全、国際関係等の担当を経て、2006年4月より現職。

Q. 国連で働くようになった経緯を教えてください。 

私はもともと医者で、臨床研修をしてから厚生労働省に入省しました。厚生労働省に入って6年ほどたった2005年、鳥インフルエンザ、及び新型インフルエンザの問題が世界的に大きくなりました。国連でも、世界保健機関(WHO)や国連食糧農業機関(FAO)だけでなく、国連全体で取り組むべき課題であるという声が上がり、当時のコフィ・アナン事務総長が、国連インフルエンザ対策調整事務局(UN System Influenza Coordination (UNSIC)) を設置しました。

この事務局の運営には、既存の枠組みや資源を可能な限り使うということで、スタッフについても各国連機関や加盟国政府からの出向者で多くを賄うことになりました。日本政府にも要請があり、機会に恵まれ2006年4月から国連で働くことになりました。決まった時は嬉しかったです。もともと学生時代から国際関係に興味があって青年の船に乗ったり、日米学生会議に参加したりしていましたし、厚生労働省に入ったのも将来的に国際保健に関わりたいという思いがあったからです。

Q. 国際関係に興味を持たれたきっかけは何ですか? 

学生時代に旅行でいろいろな国に行き始めたことです。高校生の時は、基礎研究をしていた眼科医のいとこの影響もあり、基礎研究をする医者になりたいと思っていました。でも実際に医学部に入り、毎日顕微鏡を見てスケッチをしたりしているより早くうちに帰って社会学的な本を読んだりしている方が圧倒的に面白く、自分は基礎研究には向いていないということがわかりました。同時に、途上国をたくさん見ていく中で、同じ医者として働くのであれば、日本でもやることはあるけれども、途上国の方がやることがたくさんあるように感じて、途上国の保健医療に携わる仕事をしたいと思うようになりました。

学生時代には、アジアを中心に計約1年かけて50か国ほど訪れました。留年して半年暇になったんですよ。また大学の休みごとに年3か月くらい海外へ出ていました。いろいろ見た中でも、キューバや中米諸国は印象に残っています。ソ連が崩壊した直後で、アメリカの経済封鎖が続いていた当時のキューバは本当に貧しかったですね。アジアは貧しいと言いつつも、市場に行けばいろいろ物がありました。でも、キューバは配給制でそもそも市場がない。唯一、人気のアイスクリーム屋さんがあったのですが、そのアイスクリームを食べるために、みんな2、3時間並んでいました。タクシーに乗ると大学教授が運転手としてアルバイトをしていました。

中米を回った時は、その国の政治体制、経済政策っていうのは本当に大切なんだなと感じました。例えば、コスタリカはすごく豊かで、人々はみんな楽しそうにしていた。でも、エルサルバドルは、同じような町のつくりをしているけど、公園は失業者で溢れ、人々の目つきや表情が違いました。同じ地域、民族、言葉、町のつくりでも、その国の政治体制や政策によって人々の生活にもたらされる影響がこれだけ違うんだということを目の当たりにしました。

Q. 実際に国連で働いてみてどうですか?

私が勤務しているのは、国連インフルエンザ対策調整事務局という特定の目的のための組織で、主な役割は、鳥及び新型インフルエンザ対策に関する国連内外の活動の調整です。国連内部でいえば、WHO、FAOのほか、国連開発計画(UNDP)や国連児童基金(UNICEF)など、約10の国連機関がそれぞれの立場で対策を実施しています。また国連の外ではアジア地域で言えば、ASEANやAPECなどの地域体が各種対策を行っています。国連での仕事は、いろいろな国や組織の人と一緒に働くという点で、文化や仕事の進め方の違いなどを垣間見る機会も多く楽しいですね。同じ国連ファミリーの中でも、専門機関と人道援助機関では考え方や仕事の進め方が違うことが多いですし、調整に時間とエネルギーを要することも多々あります。

国連に入る前に、WHOでインターンとして働いたことがあるのと、加盟国政府の立場から国連に関わったことがあるので、まったく新しい世界に来たという感じはありませんでした。しかし、実際に国連で仕事をしてみて、日本人が国連の中で、特に高いポストで仕事をするのは容易ではないということを感じています。その理由として、一つは、日本人はいろいろと気を遣い、強いリーダーシップを発揮することをあまり得意としないということが挙げられます。

国連で仕事をするには、時には厚顔無恥な程に自己主張をすることが必要となりますが、恥の意識の強い日本人にはなかなかできません。その他、これは個人的な問題ですが、英語を使って仕事をすることにやはりハンデを感じています。聞く集中力にしても、書く速さにしても、英語では日本語の7割、8割という感じです。英語が日本語のようにできれば、もっと速く、効率よく今の仕事ができるようになるのかなって思います。多くの部下を鼓舞し、各国のリーダーを引き付けなければならないハイレベル・ポジションに求められる英語力は相当なものであり、それだけの英語力を持つ日本人はやはり希少だと感じています。

一方で、日本人だからこそいい仕事ができるということも強く感じます。日本人は細かなところまで目が行き届き、仕事が丁寧ですし、全体の中での自分の立ち位置を瞬時に理解し、周りの空気を読む能力に長けていると思います。国連では一年程度の短期契約職員が多く、短い期間で成果を挙げることに皆必死であるため、過去の実績を十分に踏襲せず、また周りの人がなにをやっているのかを十分に把握せず見切り発車することが散見されます。一方、日本人は組織で働くことに慣れているのか、業務の一貫性に重きを置き、全体の中での自分の位置づけをしっかりと確認しながら仕事を進めることが得意という点で、国連に付加価値を与えていると考えています。

それから、国連はあくまでも政府間組織であるため、業務の主たるカウンターパートは加盟国政府の役人です。役人が何を求め、どのような手法、サイクルで業務を行っているのかということを理解していないと、専門技術を持っていてもなかなかいい仕事はできない、と感じています。

また、国連の中から世界を変えるという考えもありますが、やはり加盟国政府は、大所高所から国連の活動に方向づけができるという点で強いですね。私の専門分野である公衆衛生の世界においては、タイに見習うことがとても多いです。資金的にタイが国連に貢献している額はとても少ないんです。でも、発言や行動を通じてタイが世界の公衆衛生の政策に及ぼす影響力はすごく大きいです。

Q. 国連で働いてみて驚いたことはありますか?

学生の頃は、国連というのはベスト・アンド・ブライテストが集まっているところだと思っていましたけど、必ずしもそうではないですね(笑)。仕事に対する責任感や、仕事への姿勢は、日本で考えるプロフェッショナル意識とずれがあります。例えば、締め切りを平気で守らない人が結構います。日本人であれば徹夜をしてでも締め切りを守ろうとしますが、そういう意識を持って仕事をしている人は必ずしも多くありません。むしろ、そういうことを求めると逆に放棄されてしまうので、応対が難しいですね。

また、バンコクの国連事務所を見ていて感じるのは、職員に欧米人が多いことですね。例えば、アジアにおける対応について会議をしているのに、当のアジア人は私だけ、ということはままあります。活躍の場はたくさんあるので、より多くの日本人、アジア人に頑張ってもらいたいですね。

Q. いままで国連の仕事をされてきて日本について思うことはありますか。

私の担当である鳥及び新型インフルエンザ対策に関する国際協力において、日本は資金的には世界で第二の額を要所に拠出し、とても重要なプレーヤーとなっています。日本からの援助は途上国や国連からたいへん感謝されている一方で、それに比例するだけの日本の顔が見えているかというと必ずしもそうではないと感じており、忸怩たる思いも持っています。いくつか理由があるかと思います。

これは自分の限られた分野、限られた経験から得られた印象に基づくものなので、むしろ皆さんから反論、訂正を頂ければ幸いと考え敢えて申しますと、一つは携わっている職員の数が圧倒的に少ないことが挙げられます。一人の職員でいくつもの案件を抱えているため、案件の実行状況など現地まで出向いてフォローアップする余裕がありません。

欧米の援助機関などを見ていると、コンサルタントを雇ったりして、案件の発掘・形成、進捗状況のフォローから評価まで何度も足を運んだり現地に人を配置したりして顔がよく見える形でプロジェクトを運営しています。政府開発援助(ODA)の多くがコンサルタント費用に使用されることや、箸の上げ下げまでいろいろと口を挟むことに良し悪しはあるとしても、やはり額に見合っただけ担当者を配置したり、事業監査及び評価に費用を割いたりすることも必要だと感じています。

また、これに関連しますが、日本の国連への拠出金の拠出方法が、使途を事前に細かく決めるか、またはまったくのノン・イヤマークで拠出することが多いため、現場で国連機関や途上国政府と議論をしながら使途を決めるという機会が少なくなり、どうしても顔が見えにくくなってしまう。欧米各国を見ていると、複数年での拠出額を打ち出した後、使用方法については、国連機関や途上国政府と現地で何度も会合をもって決めたり、定期的に評価を行ったりして、自然と顔が見える形を作っています。

また二国間援助(バイ)の世界で活躍されている日本人は多いですが、ドナー会議なども含め、多国間援助(マルチ)の世界でしっかりと仕事ができる日本人はやはり少ないと感じています。援助協調が求められ、バイとマルチの垣根が段々と低くなってきている現在、マルチの場でも活躍できる日本人が国連内外にもっと増えないといけないと感じています。特にODAが減少傾向にあり、日本も以前のような経済成長が期待できない中、経済力を背景とする影響力は相対的に低下するでしょうから、今後は途上国の人々、国連職員、他のドナーと一緒になって知恵を出したり汗をかいたりするような仕事の仕方がより求められてくると感じています。

Q. 国際協力の分野で活躍を目指す後輩へのメッセージをお願いします。

目標に到達するために仕事や勉強を一生懸命やることも大切ですが、そのために、それに関すること以外のさまざまな機会を捨ててがむしゃらにやるよりも、その過程でもいろいろなことを楽しんでほしいです。私も30歳を過ぎてからですけど、私生活の充実というのは大切だと思うようになりました。30歳までは、仕事を通じて新しい発見があり、私生活なんかよりむしろ仕事や勉強で充実感を感じていました。厚生労働省で働いている時は、毎日午前2時、3時まで一生懸命仕事をやっていた時期もありました。

でも、ある時に、これだけ一生懸命やって得られる幸福感はこれだけかと思うことがあり、決して仕事のみで心の底から人生幸せだと感じることはないと思うようになりました。仕事は他人に評価されて何ぼのところが多分にあります。目標に向かう途中に遭遇する出来事や出会いの中に、目標と思っていたことより、自分にとってもっと大切なものがあるかも知れませんし、またその年代でしか楽しめないこともあります。ですから、ぜひ過程も大切にして、楽しむようにしてください。


(2008年10月20日。聞き手:松浦彩、国際労働機関・アジア太平洋地域事務所所属。写真:吉田明子、国連事務局OCHA・アジア太平洋地域事務所所属、幹事会でネットワーク(タイ)担当。ウェブ掲載:柴土真季)


2009年2月22日掲載

 


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