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田島 英介さん
国連教育科学文化機関(UNESCO )ベトナム・ハノイ事務所
教育プログラム専門官


田島 英介(たじまえいすけ):
慶應大学卒業。サセックス大学農村開発修士号取得。バークレイズ銀行、ドイツ銀行を経て2004年6月までUNESCO本部教育局基礎教育部にてアシスタントプログラムオフィサー。2004年7月よりUNESCOハノイ事務所教育プログラム専門官(現職)。

Q. 大学卒業後、外資系金融機関に就職されていますが、どのような経緯で国際協力を志されたのでしょうか。

長崎で生まれ育ったこともあり、もともと国際平和や国際協力の分野に興味がありました。卒業後は、学部で国際金融を学んでいたこともあり、途上国による債券発行などを手がける新興市場と呼ばれる分野で仕事することを希望していました。

いざ入行すると日本の金利が少しずつ上昇する局面で、金融派生商品である金利スワップや為替スワップが花形の時代を迎えていました。たまたまその部署の配属になって、当初希望していた債券の発行といった仕事には残念ながら関わることができませんでした。といっても、スワップなどの仕事も実際やってみると意外に面白かったです。ディーリングルームのダイナミズムを感じながら楽しく仕事ができました。

しかし30歳を前にして現状に疑問を抱きました。毎日ディーリングルームの数々のモニターに囲まれて、画面上で数字を追う仕事です。地に足が着いていない、というと言いすぎかもしれませんが、実生活に根付いていない部分で自分の人生が進んでいる気がしました。そこでこれからの仕事、人生を考え直し、国際協力の分野に進むことを決意しました。

Q. その後グラミン銀行でボランティアをされていますね。

兎にも角にも現場を見ないと始まらないと考え、グラミン銀行でボランティアをしました。村に住み込み、マイクロファイナンス(小規模融資)の実施に携わりましたが、ここで転機が訪れます。人間にとってお金は確かに重要です。しかし、識字、知識及び技術の取得、学習能力の向上や習得する喜びは、「勉強」という狭い枠だけではなく、人として生きていくための尊厳、自己肯定や社会参加等に関わる重要なことだと思いました。開発分野の中でも、教育を通して、人づくりのようなものに関わりたいと。実際、貧困層をターゲットにした成人識字教室を開いているダッカのNGOの業務に関わってみると、ますます教育への専門的な興味が強まりましたね。その後、ノンフォーマル教育や識字の分野で修士論文を書きました。

Q. 大学院を卒業された後は国連に入られます。

今だから言えますが、卒業してからは本当に苦労しました。当時、パリでフランス語を鍛えながら就職活動をしていました。いろんな国際機関へ履歴書を出すと投資銀行の経歴があまりにも目立ってしまい、開発, 特に教育での経験が弱いと指摘され、ことごとく駄目でした。

しかし就職活動を進めている途中、ユネスコパリ本部の教育局でノンフォーマル教育や識字の分野でコンサルタントを探していることを知り、ユネスコにコンサルタントとして入りました。

国連は、正規職員以外に様々な契約形態がありますが、私はパリ本部では3か月もしくは半年という短期契約の繰り返しでした。相当辛かったですね。いつ契約が切れてもおかしくないので人生の計画が立てられないですし、貯金もすっかりなくなり、フランスパンにチーズだけという生活も送っていました。というのも、日本の会社のように契約が切れる前に契約更新ではなくて、契約が切れて一か月たってようやく前月からの契約書が準備されるということは珍しくありませんでした。また新しい給与システムの導入で、半年もの間給料が支払われないという事もあり、毎日大きなプレッシャーと闘っていましたね。

仕事では、短期契約という状況の中で、自分に何が求められているかを念頭に置いていました。上司や同僚から求められているものにきちんと応える力、状況を的確に判断する力は国連職員にとってなくてはならない資質だと思います。同時に人脈も重要ですね。直に必要な情報を入手でき、いろんな人からアドバイスを貰えると最適な選択をすることができます。フランス人の秘書のおばちゃんたちに助けてもらったりもしました。また、両親、恩師、友人、特にユネスコの邦人職員や日本政府代表部の方々から励ましを受けたりと、いろいろな方の助けを借りながら、なんとか4年間本部で過ごすことができました。短期契約という厳しい状況でしたが、仕事自体が非常に楽しかったからやってこれたのだと思います。

Q. 国連という職場と外資系金融という職場を比べて違いはありますか。

ディーリングルームでは数字がすべてです。人事評価、業務査定も一律に数字をもとになされます。しかし国連職員に求められるのは数字だけではありません。例えば、政府との折衝を円滑に進めたり、書類をまとめあげたり、様々なパートナーと連携を組んだりといったことが評価されます。きめ細かい折衝や交渉、政治や根回しはディーリングルームでは見られない仕事のやり方ですね。また、仕事の成果の‘質’という面も重要になってきます。これも国連の面白さの一つだと感じています。

Q. 現在はどのようなお仕事をされていますか。

ベトナムにおけるユネスコの教育事業を担当していて、政策レベルの支援をしています。教育計画の策定、教育統計の質の向上、カリキュラムや教材の評価・開発、教員養成、少数民族教育、高等教育改革など、幅広く教育の分野をカバーしています。相手先はベトナム教育訓練省で、毎日みっちりと顔をつき合わせて仕事をしています。人付き合いを大切にする国ですから公私にわたった付き合いもたいへん大事です。

現在ベトナムで特に力を入れているのは教育の質の向上ですね。ベトナムはそのお国柄だと思いますが、詰め込み型、暗記型の授業がまだまだ主流で、生徒が自ら考えて問題を解決したり、積極的に発言したり参加できる授業が少ない。参加型の学習方法の導入や教員養成が非常に重要です。また、途上国の中では高い就学率を誇るベトナムですが、実際には貧困層や山間部に住む子ども、少数民族、障害児等、学校に来れていないグループが数多くいます。教育の機会をどう確保するというのが大きな課題の一つです。

昨年WTOに加盟し、貧困削減から持続可能

な成長へとパラダイムシフトをしたベトナムは確かに経済成長が著しいです。これに対応すべく、政府の最優先課題として、人材の育成が早急に求められています。教育分野では特に、高専、職業訓練校の拡充、高等教育機関の国際化、ノンフォーマル教育においての生涯教育の充実等が挙げられます。ユネスコのグローバルに展開したネットワークやその専門性を十分に生かすべく、教育訓練省を支援しています。

現在ユネスコ・ハノイ事務所には30人スタッフがいますが、そのうち正規職員は所長と私だけです。小さな事務所の中間管理職として、毎日が貴重な経験ですね。所長がベトナム国内にいない際は、私が所長代行で事務所のマネージメントや、ドナーや政府高官との会議に出席します。また、ベトナムは国連改革の国レベルのパイロット事業である一つの国連(One UN)を推進していますが、ユネスコも積極的に他の国連機関との連携をはかっています。密度の濃いハノイ生活も4年目を迎えましたが、ここでの経験は将来絶対役に立つと信じています。

Q. お仕事のやりがいは何ですか。

ベトナムは傍目には発展しているように見えますが、まだまだキャパシティ・ビルディング(能力開発)が重要な国です。例えば、プロジェクトを立案し、教育訓練省と業務を始める頃は、省の担当者は何をどうやったらいいかわからないという状況がほとんどです。しかし仕事を進めていくうちに、次の研修では違うやり方をやってみよう、次はこの議題をとりあげたらどうかと、どんどんオーナシップが芽生えてくるのです。最初はユネスコがほとんど準備をしていたのが、どんどん教育省が自ら準備を始める。小さなことですが、これは嬉しいですね。また、教育分野において、目に見える成果は10年、20年たたないとわかりません。しかし急激な経済発展の中で、人々の前向きに変わろうとする貪欲な姿勢が政策や事業に自然と現れてきます。そこを感じられるのが、今の仕事のやりがいです。

Q. たいへんだったお仕事はありますか。

パリで「国連識字の10年」の統括補佐をしていたときですね。アナン国連事務総長(当時)、松浦ユネスコ事務局長、ローラ・ブッシュ米大統領夫人を招待してニューヨークで式典を行いました。このとき、日本のやり方だったら役割分担をしてきちんと準備しますよね。大物ゲストが来るわけですから、きちんと事前準備を万全にやるじゃないですか。しかしそのときは役割分担があるように見えて、実はなく、そのうえ各国連機関の連携がきちんととれていませんでした。それもあってニューヨークの真冬の雪が降りしきる中、式典の準備の為に同僚と二人で書類のつまったダンボールを台車でホテルから何度も国連本部まで運ぶことになりました。本当に大丈夫なのか、うまくいくのかと不安に思いながら・・・。でも寒かったですね。

しかし国連職員はプロフェッショナルですから、最後には、役割分担などがなくても各々が動いてうまくいってしまうのです。各人が与えられた職務をきちんと理解しているからでしょうね。私は日本人の感覚で考えてしまい、役割分担がない状況や事前準備が不完全だとだめだと思っていましたが考えを改めました。国連本部は100カ国以上の職員が集まっているわけですから、日本のやり方を通そうとした私が間違っていました。でも、あの時は、本当に不安でした。

Q.国連を目指す若者にメッセージ、アドバイスをお願いします。

国際協力の分野で、国連は若い人たちにとって華やかな職場に見えるかもしれません。しかし実際は大変地味な仕事です。また、私のように特殊な入り方をすると、かなりの苦労をします。個人的には、しなくてもいい苦労はしなくて良いと思います。しかしJPO、ヤングプロフェッショナル、競争試験や日本政府からの出向ではない経緯で入ると、国連機関の違う面をみることができ大変興味深いと思います。また、実績を一つずつ積み重ねていけば周りから認められるはずです。

国連に入るまでは、学歴やそれなりの経歴が必要です。しかし一端入ってしまえば、誰もそんなことは気にしません。必要なのは「何ができるか」です。学生時代から自分の売りはなにか、自分の強みはなにかを考え、磨かれたほうが良いと思います。

もう一つ、語学も大事です。パリにいたせいもあるかもしれませんが、英語以外の言語も重要だと感じています。例えば、パリのユネスコで部内の会議をするときに、その会議の一番上の役職の人間が英語の方が得意なのか、フランス語の方が得意なのかで、その会議の使用言語が決まります。もちろんいつもというわけではなく、だいたいの場合ですが。フランス語で会議が進行されているときに、英語で発言してもいいのですが、不利という印象は否めません。語学はコミュニケーションの道具ですが、武器にもなります。


(2007年11月5日、聞き手、写真ともに國京彬、早稲田大学、幹事会東京事務局)

2007年12月23日掲載

 


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