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児玉千佳子さん
国連開発計画(UNDP)パレスチナ人支援プログラム
プログラム・アナリスト

児玉千佳子(こだまちかこ):山口県出身。筑波大学第一学群社会学類(経済専攻)卒。カールトン大学国際関係論修士号取得(2000)。1997年外務省入省。経済協力局国際機構課(97-98)、在マレイシア日本大使館(2000-2002)、在アフガニスタン日本大使館(2002-2004)、経済協力局開発計画課(2004)、国連アフガニスタン地雷対策センター(2005)を経て、JPO試験合格。2005年より現職。

Q. まず、UNDPで働き始めた経緯を教えて下さい。

そもそも大学に入った時には開発にはまったく関心はありませんでした。それが開発に関心を持つきっかけになったのが、私が大学に入った年に世界銀行が発表した「東アジアの奇跡」というレポートでした。東アジア、東南アジアは昔アフリカより貧しかったのですが、それがさまざまな経済政策などにより経済成長を遂げたことがいろいろな事例をあげて説明されていました。そのレポートを読んだ時に、本当は貧しい国はずっと貧しいわけではなくて、ガバナンスがうまくいったり、経済政策がうまくいったりすれば、本当は現状がよくなるチャンスを秘めているのだなと思いました。そんなチャンスがどこの国にもあるのに、それがうまく行くかどうかを運だけに任せておくのはあまりにもひどすぎると思いました。それで、少しでも私が貢献できるものがあったらいいなと思ったのが最初のきっかけでした。

それで、経済協力がやりたくて外務省に入ったのですが、 実は恥ずかしながら、途上国に行った経験がありませんでした。それがアフガニスタンに赴任したのがきっかけで、私でも途上国でやっていけるんだという自信がつきました。さらに大きかったのは、フィールドの面白さがアフガニスタンで分ったということです。自分のやっている仕事への反応がその場で手に取るように見えます。

たとえば、アフガニスタンでは女の子が学校に戻り始めているのが目に見えたのは答えられない喜びでした。また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)にも支援していましたが、難民が村に戻ってきて、定住しはじめて、生活を築いている姿を見たのは今でも忘れられません。それで、そのままフィールドにいたいと思って、2004年からアフガニスタン地雷対策センター、2005年からJPOとしてUNDPのパレスチナ人支援プログラムで働き始めました。

Q.UNDPではいま、どのようなお仕事をされていますか。

今、私が担当している仕事にはおもに三つの役割があります。まずプログラム・アナリストとして、プログラムやプロジェクトの案件形成、実施の管理、そして自分が担当している分野で案件に対してドナーに対して支援を依頼し資金を拠出してもらういわゆる資金調達をやっています。もう一つが渉外で、私の場合は日本を担当しています。UNDPパレスチナ人支援プログラムが日本から資金拠出を受けているすべての案件の取りまとめや案件形成の支援をしています。三つ目の役割として、今年の5月から上司が異動になったので、上司の代行で社会資本チーム(ガバナンス、社会開発が主な分野)のリーダーをやっており、チームの統括など良い経験をさせてもらっています。

プログラムの自分の担当分野として、ジェンダーと若者への支援を扱っています。たとえば、パレスチナの場合は若者が人口に占める割合は60%以上で、若者が置かれている状況の改善は大きな課題のひとつです。パレスチナでは、男女とも大学進学率が高いにもかかわらず卒業後の高失業率、初等教育では授業が午後1時ごろには終わるにもかかわらず放課後子ども、若者が安心して遊ぶ場所や集う場所もなく、校庭がある学校もほとんどありません。そのため、宿題、カウンセリング、パソコン教育を通じてコミュニティで大学生と子供の交流をはかり、若者がコミュニティへ貢献することを支援するプロジェクトの支援をしたりしています。また、パレスチナでは女性の大学進学率などは高いのですが、結局進学率が高くても、女性が労働市場で働いている割合は13%と低いので、その間をつなげられるように職業訓練をして、女性が働きやすくなるように支援を行っています。

Q.これまで手がけたお仕事の中で印象に残っているものはありますか?

アフガニスタンでもそうでしたが、やはり現場の良さはプロジェクトを通じてコミュニティでの人々の反応が手に取るように分かることです。同時に、一つ戒めとして、人道・開発支援が人の命や人生をかなり左右することを実感しています。たとえば、パレスチナでは初等・中等・高等教育で女性と男性の教育の就学率はほとんど差がありません。むしろ、女性の就学率が高いぐらいです。しかし、女性の場合は途中で、家庭の事情、結婚、それに経済問題などで中退してしまうことがあるにもかかわらず公式の統計がなく、女性の学業レベルの実態との差が問題になっています。そのため様々な事情により学業を中断した女性に対して、高校卒業の資格を与えられるようなカリキュラムを提供するプロジェクトを支援しています。「タウジヒ」という高校を修了したという証明書をもらった女性たちの顔は忘れられません。これで、仕事の機会が広がったという人もいたし、経済面だけではなくて、これから社会に貢献できるという自分の価値のようなものを見つけることができたという話を聞いた時はうれしかったです。

Q.逆にパレスチナ占領地という厳しい状況下で、大変なことや辛かったことはありますか?

まず、援助の持続性を確保するのが難しいということです。それこそ、ビーチで砂の城をつくっても流されてしまうのと同じようなことを感じます。人道支援から開発の方向にむけて移行する状況が整ったと思ってもいろいろな要素で中断されてしまいます。たとえばインフラをつくっても、紛争や爆撃で壊されてしまったりします。政治的理由で進行中の案件が実施できなくなることもあります。また、占領下なのでできないことも多くあります。現在もガザへのモノや人の出入りが閉ざされており人道的な支援物資以外は入りません。そのためガザのインフラ事業に必要な資材がガザで調達できません。

支援を行ううえで予測できないこと、コントロールできないことが多々あることは不満のひとつです。また、パレスチナの人々や政府の能力開発、政策支援をしても、結局政府が変わったり、訓練した人が政府からいなくなったり、他の国に移民してしまったりして、今までしてきた努力が水の泡とまではいかないまでも、次のステップにつながるところまでなかなか見られないのは辛いですね。

パレスチナは人間の開発指標で見ても中位(100位)、それに比較してアフガニスタンは178カ国中173番目という状況で目に見える貧困もアフガンの方が圧倒的に貧しさを感じます。しかし、アフガニスタンでは多くの人が紛争が終わっていい方向に変えていける、変わっていくと信じていたのに対し、パレスチナは逆に今後も状況が好転しないどころか多分さらに悪くなると見る向きがあります。もう50年近く占領が続いていて、さらにイスラエルとの分離壁やチェックポイントなど移動の規制が目に見えてひどくなってきています。その中で、支援の果たしている役割、必要性を見失うことも多々あります。しかし、同僚のパレスチナ人から、逆にこんな状況の中だからこそ前向きに考えないと生きていけないんだよって言われ、こういう状況にあって、ポジティブに考えようという強さを感じ励まされるし、勇気づけられます。

Q.政治的にも厳しい状況の中で、日本が貢献できること、国連が貢献できることは何でしょうか?

まず、同僚のパレスチナ人からもよく言われるのですが、日本はイスラエルにもパレスチナにも偏っていないと見られています。ほかの国に比べて、日本はどちらかに政治的に偏ることなく、中東に本当に和平をもたらそうと思って、中東に支援をしていると信じている人がパレスチナには多くいます。そのため、日本がリーダーシップを発揮したときに、受け入れられる土壌がすごくあると思います。

また、パレスチナでは経済開発だけではなく、政治的なものも必要です。ODAを政治的な和平プロセスを促進するテコに使えるというのは国連とは違うところです。日本はODAを政治的なテコにパレスチナだけではなくて、イスラエルやヨルダンなどにも経済的な利益をもたらすという共通利益をもとに、和平プロセスを進めていけるのではないかと思います。

それに対して、国連機関は基本的には政治的な理由を背景にした支援は行いません。UNDPはそういう政治的な意図なしに、パレスチナ人や自治政府が望む手助けをし、望む方向へ後押しをすることができます。国連は押し付けではない彼らが望む方向への手助けができるのではないかと思います。

Q.国連で働く醍醐味、楽しさ、逆に大変さなどはどんなところにありますか?

国連はフィールドにおけるプレゼンスが大きく、何といっても現場で働ける機会が多いことが醍醐味ですね。また、Learningの機会が多いことも魅力です。UNDPの場合は地域事務所の中だけではなく、組織内にジェンダーや紛争予防などいろいろなテーマごとにネットワークがあり、ほかの地域事務所や本部を含めてeディスカッションが頻繁に行われたり、お互いの経験から学びあったりすることができます。たとえば、こういうプロジェクトがあり、こういう問題があるが、どうしたら解決できるのだろうかという質問を投げかけたら、いろいろな国の経験をもとに多くの職員が答えてくれます。このようなネットワークの広さというのが国連、UNDPに入って良かったと思う点です。

国連にはさまざまな人種や多様な文化を持った人たちが集まります。いろいろな人種や多様な文化や価値観を持った人が集まっているのはとてもおもしろいです。ディスカッションをしたときにも異なった背景を持っているからこそ可能ないろいろなアイデアが出てきてきます。同時にチームリーダー代行を始めて思ったのは異なる背景を持つ人からなるチームをまとめていくのは想像もしなかったことが起こります。たとえば、私のチームは7,8人とあまり大きなグループではありませんが、メッセージを一つ送っても、みんな受け取り方が違います。マネージメントにおけるコミュニケーションの重要性を再確認する毎日です。

Q.これから国連の中でのご自身のキャリアや目標、どんな仕事をしていきたいとお考えですか?

基本的には現場にずっといたいと思っています。それが国連を仕事の場所として選んだ理由だったので。ただ、今後も国連の現地事務所で働けるのであれば、その前に一度本部の経験をしてみたいとおもいます。本部が現地事務所支援との観点で果たす役割が分かれば次に現場に行った時に仕事がしやすくなると思うからです。

国連改革の一環で国連機関同士の協調が一つのテーマになっています。煩わしいという人も中にはいますが、それぞれの国連機関に付加価値があり、お互いの長所を理解して案件を作っていった方が圧倒的にいいものができると思います。言葉で言うとあたりまえではないかと思うかもしれませんが、現場での実施状況はまだまだ改善の余地があると思います。人間の安全保障基金やミレニアム開発目標基金など、複数の機関が一緒につくった案件に対してのみ資金が拠出されるものがあります。一見それは外からの動機づけですが、それが良い方向に向かっているのではないかと思います。また「One UN」といって一つの事務所、予算、プログラム、代表者の下で国連機関がまとまっているパイロットの国があります。そういう事務所で働いてみたいとも思います。

Q.これから国連など国際社会で活躍したいと考えている若い人たちにどんなことを伝えたいですか?

自分自身の反省も含めて、若いうちに途上国などの現場に行った方がいいですね。頭で考えることと実際に見ることはやはり違います。若いうちは比較的、自由が利きますから、いろいろな国を見るのに越したことはないと思います。私は開発というのは、生きていくための個人のいろいろな選択肢を増やしてあげることだと思っています。日本の場合は逆に選択肢がありすぎるがゆえに、一つひとつの選択肢のありがたみが見えづらくなっているのではないかと思います。

国連では自己主張が激しく日本人が生き残るのは大変だといわれます。まだ短い国連経験ですがむしろ日本人だからこそ貢献できる点は多々あると思います。もちろん個人差はありますが、基本的に日本人はよく働きますし、会議一つをとっても人の話を聞きながら落としどころにまとめていくのもうまいと思います。そのあとのフォロー・アップも欠かしません。また、マネージメントも日本人の几帳面さ、情報共有が組織をうまくまとめていくと思います。

最後に、何より情熱や夢を強く持ち続けて欲しい。国連が現地事務所を持っているような国での生活は決して楽なことばかりではありません。国連といっても人と人との集まりなのです。必ずしもきれいごとだけではないですし、いろんなオフィスや組織の事情もあります。いつも自分が信じること、信念なり、自分が正しいと思うことを信じる強さ、情熱、夢というのは持ち続けてほしいなと思います。国連では信念なり、何が正しいのかということがすごく試されていると思います。

(2007年10月5日。聞き手:池田直史、コロンビア大学SIPA、幹事会で本件企画担当。写真:田瀬和夫、国連事務局で人間の安全保障を担当。幹事会コーディネータ)


2007年11月18日掲載

 


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