サイト内検索



第36回
クリスチャン・マールさん

国連テロ対策委員事務局

第35回
須崎 彰子さん
国連開発計画アジア太平洋局

第34回
中村 俊裕さん
国連開発計画

第33回
黒田 順子さん
国連事務局管理局本部契約委員会

第32回
幸田 シャーミンさん
国連広報センター所長

全タイトルを見る⇒
HOME国連職員NOW! > 第37回


松岡 由季さん
国連国際防災戦略事務局(UN/ISDR)
事務局長特別補佐官

Q.国連職員になったきっかけはどんなことでしたか?

松岡由季(まつおかゆき):大学在学中に奨学交換留学生としてワシントン州立大学にて国際政治学・国際関係論を学ぶ。民間企業の海外事業部にて2年間勤務を経て、在ニュージーランド日本国大使館に2年間勤務。ニューヨーク大学大学院にて修士号取得後、在ジュネーブ国連日本政府代表部にて人権分野専門調査員。2004年4月より国連職員としてUN/ISDRに勤務。2005年4月よりUN/ISDR事務局長特別補佐官。

8歳の時にインドネシアに単身赴任していた父のところに1か月ほど滞在したのですが、貧富の差や、貧困層の人々の暮らしを目にしたはじめての経験でした。そのときの印象がその後もとても大きく残っていて、それが国際協力や貧困問題に関心を持つ最初のきっかけだったと思います。インドネシア語にも堪能な父が、国際的な場で仕事をしている姿に影響を受けたことと、また、母が元アナウンサーなのですが、放送局を辞めた後も、好きな仕事にずっと携わっている姿をみて、「手に職がある」ということへの憧れを幼いころから抱いていて、自分にとってそれはなんだろうと考えているうちに、いつのまにか英語と国際協力分野を軸にそれを考えるようになっていました。具体的に国連を意識したのはワシントン州立大学で国際政治学、国際関係論を学んだ頃です。バックグランドの異なるいろいろな国の学生達と一緒に学び、議論する中で非常に刺激を受けました。日本人同士で議論するのとはダイナミクスが違うと感じ、自分がいたいのはこういう世界だと思いました。日本にこだわらず、広い視野や立場で国際社会に貢献できる仕事に就きたいと思い、国連を選択肢として本気で考えるようになりました。

大学卒業後、最初は民間企業に就職し海外事業部に配属され、2年間とても勉強になりました。そこで、社会人としてあらゆる仕事で要求される基礎を身につけることができ、非常に良い経験になりました。しかし、ビジネスの分野ではなく、もっと強い使命感を求め、より良い社会のために地球的視点から国際協力に携わる国連の仕事に就くことを諦められずにいる自分に気づきました。その後、外務省から在ニュージーランド日本国大使館に2年間勤務する機会を得た後、ニューヨークの大学院に留学しました。修士号を取得するのと同じ時期に外務省で在ジュネーブ国連日本政府代表部での国連人権分野における専門調査員の募集がなされていることを知り、試験を受け幸運にも採用されたのです。そこで、約2年間、加盟国、締約国の立場で、国連人権委員会や経済社会理事会における人権関連決議交渉、人権諸条約・人権条約体に関する案件を担当しました。

日本政府代表部に勤務しているときから、国連の空席公募などは注意して見ていました。そのときに、国連国際防災戦略事務所(UN/ISDR)が、国連防災世界会議(WCDR)のために、プログラム・オフィサーの空席公募を出していることを発見しました。そのポストは1年の期限付きポストで、ホスト国である日本政府との交渉業務を含んでおり、これに応募したところ採用され、UN/ISDRジュネーブ本部で国連職員として勤務することとなりました。業務は、WCDRプロセスに関わるあらゆる分野に及んでおり、議題や成果文書政府間交渉などのサブスタンス的要素、会議運営の全体コーディネーション、パブリックフォーラムの全体コーディネーション、NGO認証審査、日本政府とのあらゆる面での調整・交渉に至る非常に幅広いものでした。2005年1月にWCDRは神戸にて開催されたのですが、その数週間前に、スマトラ沖地震が起こったこともあり、防災分野での国際社会の対応が注目され、WCDRに対する国際的な関心度が非常に高まり、WCDRで採択された包括的な防災政策のフレームワークを示している「兵庫行動枠組み」は非常に重要な役割を担うこととなり、その後の世界的な防災分野への大きな前進につながっています。このような時期に、この業務に国連職員として関わることができていることは、非常に貴重なことだと思いますし、国連職員としてのやりがいにつながっていると思います。また、個人的にも1995年当時大阪に住んでおり、阪神淡路大震災を経験しているので、そのような意味でも世界の防災政策と防災対策促進の取組みに関わっていけることは、とても嬉しいことです。

Q. 現在のお仕事はどういったことでしょう。

WCDRが2005年に1月に開催されたあと、1年間の任期が終了する時にUN/ISDR事務局長特別補佐官として採用され、2005年4月から現在まで特別補佐官として2年、UN/ISDRには合計で3年勤務しています。特別補佐官としての仕事はWCDR担当の時とかなりちがっています。防災分野における各国連機関との連携・調整、「兵庫行動枠組み」の実施推進と進捗状況のモニタリング、防災分野の政府間プロセスなどに関するUN/ISDRの業務・活動の政策・方針の立案、調整と実施、及び組織としてのマネージメント的側面もあります。補佐官の仕事はあらゆる業務に携わり、幅広い視点からの総括、調整、決定が日々要求され、出張も多い事務局長の代理で多くの決断を日々せねばならないので、とてもプレッシャーの多い仕事です。特に、スマトラ沖地震、WCDR後、防災分野においては国際社会からあらゆる面での需要が高く、UN/ISDRの業務も膨大になり、総括補佐は非常にチャレンジングですが、それだけやりがいのあるものです。

防災分野における各国連機関との連携・調整、兵庫行動枠組みの実施推進と進捗状況のモニタリング、政府間プロセスなどに関する業務とともに、UN/ISDR組織としての指針・方針決定及びマネージメント的側面もあります。補佐官の仕事はあらゆる業務に携わり、幅広い視点からの統括、調整、決定が日々要求され、出張も多い事務局長の代理で多くの決断を日々せねばならないので、とてもプレッシャーの多い仕事です。ジュネーブにあるUN/ISDRの本部には6つの部署、そしてジュネーブ以外にバンコク、ナイロビ、パナマなど5つのオフィスがあるのですが、各部署、事務所へのUN/ISDR全体方針に沿った指針を示し、助言も行います。また、事務局長のプレゼンテーションやスピーチ、ハイレベルな方との会談がある場合の発言要領を作成するのも重要な仕事のひとつです。幅広い業務を統括するにあたっては、一つの問題に囚われすぎると全体とのリンクが見えなくなることがあるので、常に多くの物事を把握し、広い視野での戦略的、かつ多くの政治的配慮に基づいた判断が必要です。

UN/ISDRは、防災政策・技術の促進、防災に関する国際協力の調整と促進、防災文化構築と防災意識の浸透を役割・任務としている機関です。地震や台風といった自然現象は止められませんが、いろいろな自然災害(natural hazards) が社会に与える影響に対し対策を講じ、人的・社会的・経済的な被害の規模を軽減することが防災政策分野の目的です。自然災害による被害は、社会やコミュニティの脆弱性に深く関わっています。そのためにUN/ISDRは災害に対して強い社会を構築するための具体的策を講じる、つまり防災政策を講じるための助言、支援をしています。それは国に対してだけでなく、コミュニティを含むボトムアップアプローチも非常に重要です。

国によっては防災政策を担当する政府の組織がそもそも存在せず、何から初めていいのか分からないというところもあります。UN/ISDRでは具体的に国連加盟国に対して防災政策の提案・助言を行ったり、そうした国家組織を構築していくための指針や開発計画の中に防災対策を取り込んでいくための具体的な案を示したりします。防災に対する国際レベル、地域レベル、国レベルでの対策について包括的枠組みを提案しているのが、WCDRで採択された兵庫行動枠組みです。そして、この枠組みの具体的実施を各国政府、国際機関とともに勧めているのがUN/ISDRです。防災というのは分野横断的な性質があり、国家レベルでは多くの省庁が関わる必要があって容易ではありません。しかし、ここ数年で各地域、国々で防災対策、政策の整備に向けた努力の著しい前進を見ています。防災対策や技術が進んでいる国と、そうでない国があるので、政策、教訓、技術のシェアを目的としたネットワーキングも重要な業務の一貫です。

UN/ISDRはinter-agencyとしての役割も担っており、各国連機関の間での防災に関する活動の調整業務、つまり触媒的役割を果たしています。国連の各機関はそれぞれ開発、環境、教育などそれぞれ専門の分野をもって活動していますが、それらのグローバルレベルや地域レベルでのあらゆる活動のなかに防災の取り組みを主流化 してゆくという役割です。UN/ISDRを軸として、各国連機関の防災分野での協力・連携は、特にWCDR以降非常に前進しています。

Q. これまで一番たいへんだったことは?

2005年1月のWCDRの際は、やはり極限に近い状態で、最後の大詰めの数か月で8キロやせてしまいました。WCDR後2年が経ち、今はもとの体重にもどりましたが(笑)。充実してはいたけれども睡眠時間も食べる時間もあまりない生活が続き、本当にたいへんでした。あの大きな会議のプロセスを、もともと規模の小さいUN/ISDRの中の1ユニットで担当していたと思うと、今でも驚きます。エピソードとしては、会議初日に天皇皇后両陛下と国連幹部との会談があったのですが、その際に通訳をさせて頂いたことが強く思い出に残っています。いま思えば、そのような貴重な機会を与えて下さった外務省さんには感謝しています。WCDRの準備プロセスでは、外務省さんからはずいぶんと無理なお願いもされましたが・・・。もともと日本政府代表部の中にいたため、国連に移ったあと、日本政府と国連との間で板ばさみになるということは非常に頻繁にありました。国連職員として、常に偏りのない立場を示すことが非常に重要ですので、そこに留意しながらも、国連の立場も日本政府の立場も両方よく理解できていましたから、その間の妥協点を探り、双方がボトムラインをクリアするよう配慮し、その先にあるWCDRの成功、ひいては世界の防災分野の推進のためにということを自分のコアとなる判断基準として業務をこなしてきました。これは、いろいろな関係者の相反する立場に挟まれながら、それぞれが納得できるような方向で常に代案を準備しながら業務をこなさなければならない、国連職員にとって非常に重要な価値観だと実感しました。

Q. 日本が防災分野で貢献できることは何でしょう。

日本は防災大国です。地理的にあらゆる自然災害を経験してきた国であり、その経験の中で多くの防災政策および技術を蓄積しています。できることが多いどころかこの分野ではナンバーワンだと思います。WCDRを日本がホストしたことはその意味で極めて大きな意味があり、WCDRが防災におけるグローバルムーブメントの大きな立役者になっているわけです。しかしながら、日本のそういった推進力や防災大国としての防災政策・技術を世界に向けてアピールすることが十分にできていないのは残念です。今年の1月に日本に帰国した際に地震があり、津波警報が発せられたのですが、地震直後のあらゆるメディアを通した地震に関する情報と津波警報の迅速さは、幼い頃から日本にいると当然のように感じられるかもしれませんが、その背後には優れた技術的はもちろんのこと、それを正確に迅速に伝達するシステム、そして、それを受け取る人々がそれを理解し判断・行動するためには、防災教育や避難訓練などを通して日ごろの防災意識の高さがなければ機能しません。技術、伝達能力、そして理解し行動する人々という3要素が整わなければならないわけです。

日本のレベルは世界的にも非常に高いレベルです。私は人権分野を担当していたので分かるのですが、国連の場で日本は人権の分野では必ずしも積極的なベクトルだけで外交ができない事情もあります。一方、防災についてはそうした制限がなく100%積極的に推していける分野で、技術も政策も国際的な敬意を得られるはずなので、もっと日本国としてこの分野に組織的に力を入れていってもいいのではないでしょうか。この分野ではもっと国連でリーダーシップを取れると思います。国連を通して、こういったソフト面での日本の国際社会への貢献が認められ、国際社会からの尊敬を得ることは、今の日本国にとって非常に大切なことだと思います。

Q. 民間企業、日本政府、国連と経験されていますが、それぞれはどのように違うと感じられましたが?

実は、大学院に留学する以前に、半年ほどですがNPO (特定非営利活動法人)の業務に携わっていたこともあります。なので、Private Sector 、Civil Society、政府、そして国際機関と、主なグローバルアクターである4つのカテゴリーで勤務した経験があることになります。国連で業務をこなす上で、これらの4つのグローバルアクターと仕事をする機会が当然多々あるわけですが、それぞれの立場での勤務経験があるので、彼らの立場をより理解することができ、またそれゆえに信頼関係が構築しやすいというメリットを感じます。やはり、それぞれの「language」がありますから、hybridな経験があるというのは国際公務員として、非常に貴重だと感じています。民間企業における効率性を追求する姿勢は、近年だいぶ国際機関のなかに取り入れられてきていますが、まだまだ改善できる部分が多くあると思います。お互いにそういったそれぞれの長所を取り入れあうことが重要だと思います。やはり政府での経験、特に政府間プロセスに政府と国連という両方の立場から関わった経験は現在の業務に非常に役に立っていて、UN/ISDRの中で各国代表部との接点として機能しているのもその経験があるからです。また、Donor Relationsといった面でも、日本政府代表部において人権高等弁務官事務所への拠出金に関する案件も扱っていたので、拠出する側が求めている情報などが理解しやすいという面があり、UN/ISDRの行政担当部とドナー国との間での円滑なコミュニケーションという観点で非常に役に立っています。

Q. これからの展望をお聞かせください。

これまで国連の中で関わったのは人権分野と防災分野に関わってきました。防災というのは横断的な分野ですので、開発、人道、環境、教育、いろいろな面に関わっています。防災に取り組んでいて一番強く感じたことは、一歩でもよりよい世界に向かって前進していける分野であるということです。具体的に世界の防災政策の促進、向上に貢献していきたいのは当然ですが、それに加えてこのような分野では、ほかの分野では政治的に機微な関係にある国が、同じ議論の場にすわり、一緒に前進する方法を模索することが可能となる分野でもあり、それをきっかけに他の分野でも良い方向に向かっていく潜在性をもっている分野でもあると思います。国連を通して、世界がよりよい方向に向かうために具体的に貢献できる分野にこれからも関わっていきたいと思っています。少し理想主義的に聞こえるかもしれませんが、国連の仕事はこういった普遍的な理想や信念をもちながら、国際政治のプロセスや現実的な制約の中でそれを求め続け、実践してゆく価値ある仕事だと思います。それから、日本人国連職員としては、日本国が世界で今以上に敬意を得て、その存在を積極的に示してゆけるために、少しでもお手伝いできればと思います。

Q. グローバルイシューに関わっていこうと思う人々へメッセージをお願いします。

近道、最短距離というのはありません。多様なアプローチがあると思います。いろんなグローバルアクターがいて、それぞれが相互にかかわり合っているわけですから、いろいろな立場を理解して進めていかなければいけない国際公務員としては、いろいろな経験をもった人材が必要なわけです。グローバルイシューに関わる仕事というのは、いろいろな方法があり、こうでなければならないというモデル・ルートや近道はありません。理想と信念をもって、自分がやりたいと思うこと貢献していきたいと思うその方向に向かって一歩一歩進んでいくことが大切だと思います。グローバルイシューに従事するなかで、国際政治のプロセスの現実にぶつかり、もどかしさや悔しさ、自分の無力さを感じることもあると思います。だからこそ信念や使命感をもっていることが非常に重要だと思うのです。そして、自分自身の長所や専門性を活かして国際社会に貢献し、それが何よりも自分の人間としての成長につながってゆく、非常に価値のあるチャレンジだと思います。




(2007年4月1日、聞き手・写真・編集:田瀬和夫、国連事務局OCHAで人間の安全保障を担当。幹事会・コーディネーター。佐藤摩利子、UN-Habitatジュネーブ事務所)

 


2007年4月30日掲載


HOME国連職員NOW! > 第37回