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稲葉光彦さん

国連開発計画(UNDP)管理局財務部統括室

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稲葉光彦(いなば・みつひこ):コロンビア大学コロンビア・カレッジ教養学部卒業、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院財務会計学修士課程修了。東京銀行、ゴールドマン・サックス証券会社を経て、1998年に国連開発計画(UNDP)に転職。ラオス事務所にJPOとして勤務後、本部管理局財務部に特別補佐として転任。その後、タンザニア事務所駐在副代表として主に選挙支援プロジェクトの財務・ロジスティクス管理に従事する。再びニューヨークに戻り、本部管理局総務部のチーフを務め、その後、本部管理局財務部統括室の財部アドバイザーとなる。現在は主にUNDP全体の財務体制の分析、リスク管理に従事する。

Q. 国連で勤務されることになったきっかけは何ですか。

国連で勤務をしたいと志望するようになった理由は、大きく分けると三つあります。一つ目は、私は以前、民間の外資系投資銀行に勤めていたのですが、30歳頃にそれまでの仕事に対していきづまりを感じたことです。20代の頃は、もうけた金額が仕事の成果基準となるシビアな業界で、いくら無理をしても頑張ることができるスポーツ選手のように仕事をしていました。しかし30代に入る頃、自分のためだけに仕事をしていていいのだろうかと考えるようになったのです。

二つ目は、人に役立つことをしたいという考えがあったからです。それまでの仕事は、お金持ちをさらにお金持ちにさせることで、ついでに自分も報酬を得るという仕事でした。でもそれは自己満足の世界ではないか、と疑問を感じたのです。若い頃は見栄と虚栄心の塊で、ひたすらお金を稼いでひたすら遊んでいればよいというように、お金の使い方や自分自身の生き方について深く考えることがありませんでしたが、こういった自分に対して次第に危機感を抱き始めました。

三つ目の理由としては、当時の親しいオランダ人の同僚の言動に影響を受けたことが挙げられます。彼は週末の度にフィリピン、タイ、ハワイといった海外へ遊びに行く華やかな生活をしていました。しかしあるとき、1990年初めに国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が切り上げたばかりで、内戦の爪あとが残るカンボジアへ行ってきたと言うのです。遊ぶところのないカンボジアで何をしてきたのかというと、スリルを求めてカンボジアの地雷原を歩いてきたそうなのです。実際に地雷を踏んで吹っ飛ばされてはたまりませんから、どうしたのかと聞けば、「簡単なことだよ。カンボジア人を雇って自分の前を歩かせ、危険がないか確認してから歩けばいいのだから」という話でした。

後から考えてみると、彼の話は99.9%冗談だったのだろうと考えられるのですが、当時はこのような発想を持てる人が自分の友達で同僚であるということ、そして自分もある意味では彼の心理を理解できるということにショックを受けました。また、大学時代の友達に会ったとき、「最近お前はくそったれになったなあ。お前の話は自己中心的で、もうついていけない」と言われ、これまでの自分を見直そうと考えました。

そこで、良いところに住んで、良い車に乗って、良いお店でご飯を食べて、といったバブルの終わりごろの典型的な生活スタイルを180度変えてやろうと思いました。最初は青年海外協力隊への応募を考えたり、NGOに入って草の根で徹底的にやろうと考えたりしましたが、詳しく調べていくうちに、自分はそこまではできない、ある程度の生活水準を保っていなければ幸せではいられなくなると思い至りました。自分が苦しんでまで人を助けることは偽善ですから、自分も他の人も幸せにできる仕事はないかとさらに探したところ、国連ならばそれができるのではないかと考えました。

Q. 今なさっているお仕事はどのようなことですか。

UNDPの中には管理局があり、財務調整部があります。そこには、財務、経理、総務の三つの部署があり、私はそのすべての部署を統括する統括室のアドバイザーとして、各部署長に助言する立場にあります。UNDPの拠出金には大きく分けて、(1)各国から無条件でいただけるコア基金、(2)条件付でプログラム運営のためにいただけるノンコア基金、そして(3)UNDP運営のために使われる二か年維持予算の三種類があります。UNDPの予算は全額で約50億ドルあり、その四分の一がコア基金、四分の三がノンコア基金なのですが、私はその全体を俯瞰して財務リスク分析を行っています。具体的には予算の用途や配分の分析、予算の消化・未消化率の割り出し、執行理事会から上がってくる質問への対応、そして内部のマネジメントへの情報提供といった仕事です。

また、個別の案件について、調達先、援助対象国、拠出国等のリスク分析をしています。UNDPが扱っている案件は一般企業に比べて非常に財務リスクが高いものが多いのです。UNDPは一般企業が行かないようなところへ行って仕事をしているので当たり前なのですが、援助対象国政府の財務状況が脆弱な場合もあります。またUNDPは拠出国政府に対する説明責任が当然あるものの、規則で制約されすぎるのはよくありませんので、臨機応変に各国のリスクに対応していく必要もあります。

最近では拠出金の誓約倒れになる危険性がある国もありますから、拠出先国のリスク分析というのは重要性を増している分野の一つです。民間の格付けを参考にしながら格付けを行うこともあります。また、国債さえ発行していない国も多くあるので、UNDP独自のリスク分析も数多く行っています。こういったリスク分析業務は私の昔の仕事と共通する部分が多くあり、そのとき得た知識が土台となって役立っていると思います。

Q. これからどのような分野でキャリアアップされていきたいとお考えですか。

私の現在の仕事はプログラムの実施・運営を円滑に進めるためにお金を動かすという、裏方に徹している仕事です。プログラムの執行にあたってロジスティクス(注1)は必要不可欠の分野です。どんなにすばらしいプログラムであっても、ロジスティクスがきちんとしていて、資金が末端まで行き届かないと執行にあたってうまくいきません。

UNDPには貧困削減、HIV/AIDS、環境、統治といった分野に関心を持って入ってこられる方が多い一方、ロジスティクスをやりたくて入ってこられる方は少なく、この分野が非常に弱いのです。平和維持活動局(DPKO)といった特殊な部門を除いて、ある意味で国連全体に共通する弱みなのかもしれません。私は現在働いている分野に興味がありますし、専門性も活かせますので、これからもこの分野でキャリアアップしていきたいと考えています。

Q. 国連で働く魅力は何でしょうか。また、国連で働くにあたって不満はありますか。

私が考える国連で働く魅力とは、皆が少数派であるということです。皆が少数派であることがなぜ重要なのかというと、主流派による少数派に対する差別が起こりにくいからです。私が国連に入る前に働いていたアメリカの投資銀行と日本の都市銀行では、やはり主流派の意見に重きが置かれることが多く、それに伴う差別的な一面を感じていました。民主主義を謳っているアメリカ社会全体においても、ウォール街やメディアで現在どの派閥が主流派で、最も力を持っているかということは分かりますよね。ところが、国連内部の職場においては多数派ないし主流派というものが存在しないのです。国籍、人種、性別も関係なく、皆が少数派で、皆の意見が大事にされている。それは私にとって非常に魅力的な点で、国連で働きやすい理由でもあります。

逆に国連で働くにあたっての不満は、何につけても効率が悪いということです。お金と時間は密接な関係にあり、切り離して考えることはできません。しかし、お金を扱っているにもかかわらず、「時は金なり」といった考え方を持っておらず、金銭感覚がない職員が多いのです。その原因は、皆が少数派であるがゆえに、業績を計る際に職員の実績の最低値が基準とされてしまうことです。全体の業績がどんどん下がっていってしまうことを防ぐためには、できる人が低い基準に合わせるのではなく、いかに全体で基準を引き上げていくかということが課題ですね。

Q. これまでで一番思い出に残っていることは何ですか。

悲しい思い出で、いつまでも脳裏に焼きついていることがあります。私がUNDPタンザニア事務所の副代表で、プログラムの実施・運営の責任者として勤務していたときのことです。ミレニアム・ビレッジ・プロジェクトの対象となっているタボーラという貧しい村の病院を視察のために訪れました。病院とはいっても医療機器もない掘っ立て小屋のような建物に、約300人の患者が収容されており、医者一人、助手二人ですべての患者の看病をしていました。その医者はロンドン大学医科大学院で学んだ人だったのですが、彼は、機材や人材さえあれば、そこにいる患者の八割は助けられるというのです。しかし、そこには、お金も機材も人材も何もないのです。私が視察で滞在した三時間ほどの間にも、目の前で亡くなっていかれる方たちがおられ、非常につらく、涙がぼろぼろこぼれてきました。

一方、現地の人たちにとって患者の死は毎日のできごとです。悲しいなんて言っていられないのです。彼らは「人生はそれでも続いていくのだから」と考えてやり過ごしていくしかないのです。そこで私は気がついたのですが、大きな紛争や飢餓など、メディアに取り上げられて一時的にでも脚光を浴びるところには、被害に対して何らかの援助が届けられます。しかし、その影にはメディアにも取り上げられないこのような隠された危機があり、人知れずひっそりと亡くなっていかれる方々が大勢おられます。自分はUNDPで働いていながら、このように静かに見捨てられている人たちに対して何もできないということをそのとき非常に悲しく思い、その光景は今も脳裏に焼きついています。この問題は自分の中で今でも葛藤し続けており、解決策はまだ分からないままです。

ミレニアム・ビレッジ・プロジェクトによって、この村の状況が改善されていればよいと思います。しかし、このプロジェクトで採られている手法も完全ではありません。プロジェクトの一環として、マラリア予防のために蚊帳を配布したり、穀物の発育促進のために肥料を配布したりするのですが、もっと結果をよく考えて計画すると同時に、実際に現地で何が起こっているかを直視しなければならないと思います。村民はまったく現金収入がないわけですから、一部の村民は蚊帳や肥料を受け取ったらすぐに市場へ行って現金と引き換えてしまいます。それでは配布した意味がありません。プロジェクトの持続可能性を考慮して、例えば穀物やとうもろこしの栽培を促進するのであれば、できた作物をどうやって市場へ持っていくのか、また誰が買ってくれるのか、そういったことを想定してから行動する必要があります。漠然と計画を押し付けるだけではうまくいきません。

Q. これまでで一番大変だったことは何ですか。

タンザニア事務所では、責任が大きかったという点で大変でした。プログラムの実施・運営の統括者として、人事を含めて110名を超える全職員を監督する立場にありました。当時の常駐調整官は、2005年に行われる大統領選挙及び議会選挙に対する支援の準備と執行にあたる人材を求めて、プログラムの実施・運営とロジスティクス管理を専門分野とする私をタンザニア事務所へ呼んだようです。実際、全予算の4千万ドル中、3千万ドルが選挙支援に充てられていて、選挙支援に関わる仕事以外ほぼ何もしていないような状態でした。

選挙支援準備だけでも忙しかったのですが、選挙が行われる三か月前からUNDPの内部監査がタンザニア事務所に入りました。選挙支援はUNDPの重点分野ではありましたが、2004年頃まではアフリカの3、4か国で実施していたに過ぎません。当時のアフリカ局長の発想は、UNDPの選挙支援が説明責任を果たしており、透明性があるということを示すためには、現在まさに選挙を行っている国の事務所で監査を同時期に行い、事務所の選挙支援活動が公正に運営されていることを証明するしかない、ということだったようです。しかし、そのために選挙支援業務はさらにたいへんになり、当時は監査が妨害行為としか思えませんでしたね。

内部監査であっても不明瞭な点があると厳しく突っ込まれ、改善を求められます。監査対策のために、まるで受験勉強のように傾向と対策を練り、質疑応答の想定文を準備しました。努力の甲斐もあって、最終的には良い監査結果を受け取ることができました。

私はこのように業務が忙しいときでも、パズルのように楽しみながらやろうと決めています。焦っている姿を他人に見せてしまうと、本当にその通りになってしまいますので、「なるようになる」と楽観的に考えて業務に取り組んでいます。

Q.国連で働いているからこそできたとお考えになっていることはありますか。

私がUNDPラオス事務所でJPOとして国連職員のキャリアをスタートさせた当時、エントリーレベルの国連職員でも、一国の参事官でさえなかなか会えないような政府の高官とのアクセスが簡単にできてしまうことに驚きました。JPOでも、業務上必要であれば財務省の財務次官や議会長に面会することができるのです。私は国連職員とは非常に信頼を置かれているのだと実感し、国連で働いているからこそ、このような責任の重い仕事ができるのだと思いました。

Q.グローバルイシューに取り組む若者にメッセージをお願いいたします。

一般的に、国際的な視点を持つ国際人になりなさい、ということがよく言われます。しかし私はその反対で、自分の考え方や文化的背景をきちんと理解し、信念として一つの定まっている点を持つことが大切だと考えています。他人の意見を聞くなとは言いませんが、まず自分の中にしっかりした土台を持っていないと相手と交渉ができませんから。「これが自分の信念である」と明確に言えるものを持つように、ということが私のメッセージです。

ちなみに私の信念は、「いったん決めたら動かない」ということです。物事を決定するまでに充分に時間をかけた後、いったん決めたら、よほどのことがない限りぶれません。頑固かもしれませんが、ぶれてしまったらだめだと考えています。






(注1)資金及び物資の調整・管理といった、プログラムの実施・運営における後方支援業務。




2010年12月13日、ニューヨークにて収録
聞き手とプロジェクト・マネージャ:鈴木智香子
写真:田瀬和夫
ウェブ掲載:斉藤亮

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