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大井 綾子さん
UNDP東ティモール事務所・危機予防と復興部

 

大井 綾子(おおい あやこ):京都府生まれ。8歳から12歳までNYで生活。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、日本テレビ放送網株式会社入社、報道局勤務。主に社会部で拉致問題、国税庁、東京地検特捜部などを担当。日本テレビ退社後、イギリス・Institute of Development Studiesに留学、MA in Governance and Development取得。2007年9月、外務省の「平和構築分野の人材育成のためのパイロット事業」に第1期生として参加。同年11月、事業の一環でUNDP東ティモール事務所に国連ボランティアとして派遣。東ティモールの人間開発報告書、ミレニアム開発目標報告書の作成に携わる。2008年11月より、UNDP東ティモール事務所Crisis Prevention and Recovery Unit(危機予防と復興部)JPOとして派遣。国内避難民の帰還支援、災害対策などを担当。

Q.開発やポスト・コンフリクトの道に進まれたきっかけを教えてください。

途上国の問題については、高校1年生のとき、ブラジルのストリート・チルドレンのドキュメンタリー番組をみてから興味を持ち関わりたいと思っていました。大学生のときは外務省を目指したこともありましたが、就職活動をするにあたって一度は民間の会社で働いてみようと思ったことと、興味を持つきっかけにもなった開発や平和の問題を扱うドキュメンタリーを作れたらいいなと思い、テレビ局に入りました。

テレビ局では主に報道局の社会部というところで日本国内の事件・事故を追いかけていました。それ自体はとてもやり甲斐のある仕事だったのですが、東京で行われたアフガニスタン復興会議やNGOの取材を通じて、ますます途上国の開発問題や平和の仕事に関わりたいという気持ちが強くなっていきました。社会の中でマスコミの果たす役割は重要ですが、次第に取材する側ではなく、実際に物事を動かしていくアクターとして途上国の開発や平和構築にどっぷり関われるような仕事をしたい、と思い転職しました。

Q.テレビ局を辞めてからラオスのNGOでインターンをされたのはなぜですか?

留学前にインターンをしたのは、尊敬する国連職員の先輩から、留学するならその前に少しでも現場経験を積んでおきなさいとアドバイスを頂いたからです。机上の勉強だけでは実感を持てないので、短期間でも現場経験があった方がいいと言われて探した結果、タイミングがあったのが教育系NGOのラオス事務所でした。インターン中はラオスの教育政策に関するリサーチや図書館活動に関わりました。

修士では「ガバナンスと開発」というコースで勉強したのですが、実際、周りの学生はみんな多かれ少なかれ現場経験がありました。ディスカッションの際に、ラオスで見たり聞いたりしたことなど、自分の経験に基づいて意見交換ができたのはよかったと思います。

Q.外務省の「平和構築分野の人材育成のためのパイロット事業」に第1期生として参加されて、いかがでしたか?

まず、平和構築に関する基礎的な知識を身につけることができたと思います。例えば、国連機関の役割や調整、平和構築に関わるさまざまなテーマについて、研修中に学んだことが今の仕事の中で生きていると思います。また、講師として来てくださった方々が国連を中心に現場経験が豊富な方ばかりで、実際的なお話を伺うことができました。講師の中には研修後、連絡をとらせて頂いている方もいて、今でも悩みがあるときなど、貴重なアドバイスを頂いています。

それから国連ボランティアとして現場に派遣して頂いたことも大変感謝しています。通常、私のように現場経験が限られていると国連ボランティアとして採用してもらうことは難しいのですが、外務省の研修生ということで、UNDPで働く機会を得ました。またその後、私は平和構築JPOとして採用して頂いたのですが、一般のJPO派遣候補者選考では不合格となっています。もしこの事業に参加していなければ今、国連で働いていなかったかもしれません。そういう意味では、「平和構築分野の人材育成のためのパイロット事業」には国連で働くきっかけ、また平和構築の仕事を始めるきっかけを頂きました。

Q.東ティモールでの国連ボランティアとしてのお仕事について教えてください。

UNDP東ティモール事務所に国連ボランティアとして派遣された際には、東ティモールの人間開発報告書、ミレニアム開発目標報告書の作成に携わりました。

私はプログラム・オフィサーとして、プロジェクトの運営・管理を担当し、統計の専門家や編集者らスタッフを採用したり、データ収集のお手伝いをしながら、それらを最終的に一つの報告書としてまとめるといった仕事をしました。

東ティモールの2004年発行のミレニアム開発目標を見てみると、48の指標のうち大半が空欄です。国が新しく統計の蓄積がないので、指標によっては出せないものがあったからです。今、世界的な流れとしてはミレニアム開発目標を達成するのが難しそうなアフリカにお金が集まっています。しかし東ティモールの場合、目標を達成できるかできないかという以前に、達成できるかどうかを計る指標さえ十分に出すことができないような状況にあります。その国がミレニアム開発目標をどの程度達成していて、あとどれくらい頑張らなくてはいけなのか把握するということは、国の開発計画をたてる上でとても重要なことです。

また、一般的に統計というのは政府にとって敏感な問題で、取り扱いには気を使います。例えば、一日1ドル未満で生活する人口の割合がどれくらい減ったか、あるいは増えたかというのはその国の政策を問うことにもなりかねません。そのため、ときにはなかなか政府の統計局からデータを提供してもらえなかったりすることがあります。そもそもデータがない場合もありますし、データがあっても大臣の承認待ちという状態が何か月も続いたこともありました。

Q.今のお仕事について教えてください。

2008年11月からは、同じくUNDP東ティモール事務所のCrisis Prevention and Recovery Unit(危機予防と復興部)にJPOとして派遣され、国内避難民の帰還支援や災害対策などを担当しています。UNDPで「危機予防と復興」という分野は、紛争や災害などの危機を予防し、その後の復興を支援することを目的としています。紛争や災害直後の人道支援の時期が終わってから開発が軌道にのるまでの橋渡しをするような仕事で、UNDPの中ではまさに「平和構築」に関わる分野です。

東ティモールは、国内避難民の帰還としては非常に成功している例だと思います。2006年の暴動の後、15万人以上の避難民が出て、ディリを中心に避難民キャンプが60以上、あちこちにありました。去年から避難民の帰還が本格的に始まり、今ではほとんどの避難民が帰還し、2009年6月現在、最後の避難民キャンプからの帰還が進んでいます。ただ避難民の帰還というのは、単に避難していた人が物理的に村に帰ればいいということではありません。帰るためには避難民が元々住んでいた家がどうなっているかを把握して、そこに住み着いている人がいるならどうしたら避難民が帰ることができるのか交渉しなくてはなりません。避難民と避難民を受け入れる村の間を取り持ってお互いが納得して、避難民が平和裏に帰還するためのサポートをUNDPのプロジェクトを通じて行なっています。

また避難民と村人との対話の促進など、帰還後のフォローアップも行っています。避難民はそもそも、その村で脅威を感じるなどして避難民になったわけです。暴動が終わって1年以上経ったからといって、必ずしも避難民が村に戻って円満にやっていけるわけではありません。軋轢が残っていたり、避難民だった人が危険を感じたり、村人たちの側にも敵対心があったりします。そうしたコミュニティに存在する対立を解消するため、私の担当するプロジェクトでは政府と協力して、村で対話集会と呼ばれるものを開催しています。避難民と村人、そして政府の人も巻き込んでの対話集会です。そこでは、それぞれが思っていることや、これから一緒に生活していくにあたっての決意などを話し合います。

私が好きなのは、対話集会の一環として特に地方で行われる、村が一つになるための伝統儀式です。村の長老らが伝統衣装を身に着け、女性たちが民族楽器を演奏し、生け贄を捧げて、タイス(東ティモールの織物)を対立していたグループの代表者の周りに巻き付けて、コミュニティが一つになるための儀式を行うのです。こうした対話集会を通じて避難民と村人が一体感を取り戻し、これから平和に暮らしていけるようになればと願っています。

Q.仕事ではどのようなときにやりがいを感じますか。

やりがいを感じるときはいろいろあるのですが、一番大きいのは、自分が関わっている仕事の結果として、東ティモールの人々が喜んでいる姿を目の当たりにするときです。例えば今年2月に対話集会のために地方の山間の村に行ったのですが、伝統儀式が終わった後に年配の女性がとても嬉しそうに私にキスをしてくれたんです。コミュニティが平和を取り戻すということは、対立している者同士だけの問題ではなく、その村全体の問題です。対話集会を通して、村の女性や老人にも安心して暮らせるようになったと感じてもらえたのかなと思い嬉しくなりました。また、私が東ティモールに来た1年半前は避難民キャンプだった場所が、今ではきれいな公園になっています。週末に通りかかって、子どもたちが遊具で遊んでいて楽しそうな声が聞こえてくるとき、本当に幸せな気持ちになります。

またオフィスで仕事をしていても日々やりがいはあります。東ティモールの現地職員とお互い助け合いながら仕事をするのですが、こういうことができるようになったよとか、この前教えてもらったからこれができるようになったよ、と言ってもらえたときはとても嬉しいですね。と同時に、私もまだ国連職員としても開発業界でも駆け出しなので毎日が勉強です。それまで自分ができなかったことができるようになったときや、自分がやったことが周りに評価してもらえたときにもモチベーションは上がります。

Q.お仕事でたいへんなのはどういうときですか。

国連はよく官僚組織だと批判されますが、実際、何をやるにも時間がかかり、効率的とは言えません。複雑で手間のかかる手続きがあるということもありますし、「こうだよ」と言われてやってみるとやっぱり違ったなんていうこともよくあります。例えばプロジェクト・スタッフの採用や調達にも驚くほど時間と手間がかかります。外に出す手紙やレポートなど、文書にも何重もの承認が必要です。速やかな対応が求められる現場と、時間のかかるUNDPのルールとの間でジレンマを感じることも度々です。UNDPで働き始めて3、4か月目くらいには嫌気がさして「こんなところではもう働きたくない!」と思ったこともありました。

乗り越えられたのは、経験を積むにつれて、既存のシステムの中で効率的に短時間で物事を進めるにはどうしたらいいのか、ということが少しずつ分かってきたというのがあります。例えばスタッフの採用一つをとっても、大体どれくらい時間がかかるのか予測がつくようになりましたから、いつ頃手続きを始めればいいのか逆算し、必要な書類を事前に用意し、関係各所にそれとなく前ふりをしておく。それでも迅速とは言いがたいですが、物事はだいぶスムーズに運ぶようになりました。

もう一つは、同じく民間出身の日本人の国連職員の先輩に「こんな非効率的でびっくりするようなことばかりがおきる組織を辞めたいと思ったことはありませんか?」と聞いたときに、「まあ、国連っていってもこんなもんじゃないの?」と言われたことです。そのときに気がついたのですが、私は国連に過剰な期待や幻想を抱いていたんです。国連は世界中の問題を解決できる素晴らしい組織だと思い込んでいたんですね。でも国連もいろいろな人が集まってできている一つの組織である以上、いいところもあれば悪いところもあるし、改善しないといけないところもあって当然なんだと思ったら、ふっと気が楽になりました。最近では予期せぬことが起きたり、複雑な手続きに手間どうことがあっても仕方がないかなと思えるようになりました。

Q.民間と国連で働くことの違いを教えてください。

私は民間といっても日本でしか働いたことがないので、民間と国連という単純比較はできないのですが、私が前に働いていた会社はテレビ局ということあって、スピード感が求められましたし効率的だったと思います。また国連は営利企業ではできないような平和や開発といったことに取り組むことができる一方で、時間に対するコスト意識や、費用対効果を考えるといった習慣が民間に比べて少ないように感じます。

それから日本の組織と国連との違いで言えば、日本の組織ではあくまでも大半は日本人が働いていて、共通する価値観や常識があると思うのですが、国連はいろんな国の人が働いているので、自分が当然だと思っていても当然ではなかったりして、常識といえるようなものが少ないように思います。ですから、日々驚かされることが多いのですが、それが国際機関で働くことの醍醐味のような気もします。お互い共有しているものが少ないと一つの物をつくり上げていくのは大変ですが、だからこそできあがったときの達成感が大きいんだと思います。

Q.マスコミでのご経験は今の仕事にどうつながっていますか。

私は働く姿勢というものを、日本テレビで教えてもらったと思っています。当時の上司にはよく、「できない理由は聞きたくない、できる方法を探せ」と言われました。これは国連でもあてはまることだと思います。国連は大きな官僚組織で複雑なルールがありますが、一見難しそうなことも、じゃあどうやったらできるのかということを常に考えるようにしています。

また、私はテレビ局で働いているときは主に記者をしていたので、いろいろな人と会って話をする機会に恵まれました。国連では政府やドナー、NGO関係者や他の国連機関と常に協力して仕事をするので、自分とは立場の異なる人とコミュニケーションをとりながら関係をつくっていかなくてはなりません。そういう部分でも記者としての経験が生きていると思います。

Q.今後のキャリアプランについてお聞かせください。

これからは仕事と家庭の両立も考えていきたいのですが、できれば今後も平和構築に関わっていきたいと思っています。東ティモールで働いてみて、やはり平和な社会で安心して暮らせるということは人間の生活にとってとても大事なことなんだと、政府や村の人たちと接する中で感じました。そして、こうして平和構築の過程に少しでも関わることができて、大きなやりがいを感じています。

私が着任してからの1年半の間に、東ティモールは目に見えて治安が安定してきました。着任当初は首都のあちこちにあった国内避難民キャンプもほとんど姿を消し、今では夜に外出しても危険を感じることはほとんどありません。このまま順調にいけば平和は定着していくのではないかと期待しています。そうなれば、次はまだまだ平和構築の支援が必要な国、例えばアガニスタンやスーダンなどで東ティモールの経験を生かした仕事ができればと思ってます。

(2009年2月29日。聞き手:長山思穂子、大阪大学大学院国際公共政策研究科修士課程(インタビュー当時)。写真:田瀬和夫、国連事務局OCHAで人間の安全保障を担当。幹事会コーディネータ。ウェブ掲載:岡崎詩織)


2009年7月15日掲載

 


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