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ドールとキャンプ
〜子ども達のために、共感共存の視点での活動〜

寺尾のぞみさん
MSTERIO ディレクター

寺尾のぞみ

「国際仕事人に聞く」第20回ではMSTERIO(※語句説明 1)を立ち上げ、子ども達のためのキャンプ活動や、子ども達に手作りの人形を贈るプログラムも並行しておこなわれている寺尾のぞみさんにお話を伺いました。日本とアメリカを繋げ、斬新なアイデアをもとに精力的に活動されている寺尾のぞみさんのお話をぜひご覧ください。(2015年6月23日 於ニューヨーク)



MSTERIOを始められたきっかけを教えてください。

寺尾のぞみ(てらおのぞみ):1959年生まれ。子供の頃からアメリカに憧れ、高校の時に1年間シカゴに留学。大学卒業後アメリカ大使館商務省に勤務。その後、メデイアに興味を抱きフジテレビで番組制作に関わる。仕事でアメリカに行く夢の実現を諦めることなく、ニューヨーク伊藤忠に入社。そこで一度結婚。前夫の転勤で東京に帰国と同時に1987年にモルガンスタンレー東京支社のキャピタルマーケッツ部へ配属。1989年離婚後、モルガンスタンレー・ニューヨーク本社に移籍。2003年再婚。2006年モルガンスタンレーを退社するまでは、4カ所の異なる部署に配属され投資銀行のしくみを学ぶ。退社時のタイトルはExecutive Director。モルガンスタンレー在籍中、日本で子供向けのバインガルサマーキャンプ・MSTERIOを立ち上げ、毎年運営、今年で15周年を向かえた。モルガンスタンレー退職後、教育関係のNPO団体の理事を兼務しながら、2011年、世界の子供たちをドールでつなぎ世界観を深め相手を思いやる気持ちを広げることを目的としたNPO、MSTERIO.orgをニューヨークにて設立。

MSTERIOを立ち上げた2001年当時は、モルガン・スタンレーで勤務していました。世界的にも経済が安定していましたが、様々な経験をするうちに、お金の価値観にとても迷いが生じていました。「頑張ればこんな家が買えるぞ」と写真を見せられてもときめかず、「週末にはパリに行けるわよ」と聞いても、そうしたいとも思わず、おかしいのかなと思っていました。前後してリーマン・ショック(※語句説明2)も起き、株価の暴落も経験して、さらに深く考えるようになりました。

ニューヨークに転居後、出張で日本に帰る度に、同級生の子ども達と遊ぶようになりました。子ども達はお行儀はよかったのですが、一方でやりたい放題にできない、叱られないように枠に入っているという様子が印象的でした。そこで、その子たちを連れて親に怒られるようなはちゃめちゃなことをして一緒に遊んでいました。私自身は子どもの頃から一つのことを皆で一緒にすることを好まない、どちらかというと変わった子だったと思います。

そのような背景もあり、自分の生活もある程度できるようになった時、第二の人生で自分の好きなことについて考えた時にテーマの一つにとして出てきたのが、子どもです。私自身も子どものようだからでしょうか、子どもと接している時間が一番学べる気がしていますし、また子どもたちが鏡のように自分を見せてくれているように思いました。子どもをテーマにした仕事をしたいと考え、アメリカ人の友人に幼少時代一番楽しかったことを尋ねたところ、皆キャンプと答えたのです。今までキャンプに行ったことがなかったのですが、アメリカの様々なキャンプへ子どものようになって自ら参加したところ、とても楽しく、こんなに楽しいことを日本の子ども達も経験できないかと考えるようになりました。

その時に素晴らしい出会いをしたのが、バイオリニストの五嶋みどり(※語句説明3)さんです。最初は五嶋みどりさんだと分からないまま、友人経由で紹介していただきました。初めて事務所に来てもらった際、バイオリンを担いで、「今日これから演奏です」と言って入って来られ、The五嶋みどりに腰を抜かしました。しかし、一緒に一年間サマーキャンプ立ち上げのお手伝いをしたいと言ってくださり、毎週火曜日夜8時から10時まで、一年間来てくれ、二人で話し合っていました。子ども達と接するときには演奏はせずに一人の人間として接したいと言ってくださり、一人ひとり子ども達の心をすごく理解してくれて接してくれました。それで私は2001年にモルガン・スタンレーに勤めながら、MSTERIOを始めました。

MSTERIOを立ち上げるうえで土台となった金融界およびニューヨークでご活躍された経験について詳しく教えていただけますか。

1987年に前の主人の転勤で、日本で仕事をしなくてはいけなくなったため、購入したジャパンタイムズに載っていた求人広告がきっかけで金融界に入ることととなりました。その前の経歴に統一性はなく、大使館、メディア、商社等に勤務していました。好奇心旺盛で色んなところをかじってみたくなってしまうんです。モルガン・スタンレー社からは、最初はアシスタントとして入ってほしいとお仕事をいただきました。

そのうちに日本で離婚をすることになり、主人がアメリカ人だったので、離婚、国際結婚に対する世の中の目の冷たさに違和感を感じ、海外転勤を希望していました。最初はうまくいかなかったのですが、ご縁があり、当時債券部で求められていた日本でのマーケット開拓を目的とした日本語話者として、2年間の約束でアメリカへ来ました。このような経験は今までに全くないため、最初は名前も覚えてもらえず、右も左も分からない状況で怒られっぱなしでした。幸い様々なマーケットを見させてもらいましたが、最初の2年間は顧客は日本企業でした。子どもの頃から皆と同じことをしなくてはならない日本に窮屈さを感じていたことで、アメリカに来たからには英語で仕事をしたいという思いがありましたが、やはり最終的には日本人ということを意識するところに行きつきました。日本に貢献したいという気持ちになり、日本の企業がこちらで大きな仕事をする時の投資関係の架け橋となるIR業務や、アメリカの大学・大学院を訪れリクルート活動もしました。

MSTERIOを立ち上げるうえで土台となった金融界およびニューヨークでご活躍された経験について詳しく教えていただけますか。

活動を始めて、毎年夏には休暇を取り日本でサマーキャンプを実施していました。一度しかない人生、心に響くことを会社以外でして、自分の世界を作りなさいと上司が言ってくれたおかげで、続けることができました。その間MSTERIOのキャンプには毎年、不登校、いじめ、自閉症、注意欠陥・多動性障害等、様々なお子さんが増えてきたことと、海外のお子さんも来るようになったことからアメリカからスタッフを採用し、英語と日本語のバイリンガルキャンプになるなど変化もありました。最初は小学生対象でしたが、より長くキャンプに参加してもらえるよう、中学、高校も一緒に、現在は、小、中、高のお子さんまで参加しています。立ち上げの2001年から2006年までは私たちがお世話をするというスタンスでいましたが、だんだんとただ楽しいだけではダメで、大切な命を預かっている責任の重さを感じるようになりました。

同時に会社での勤務も20年経ち、ここで踏ん張り次のステップに足を踏み出さないといけないという思いが強くなりました。幸いにしてアメリカ人の主人もキャンプには参加してくれ、子ども達も年齢を重ねてきていたため、夏にとどまらず、春休み時のリーダーシッププログラム、冬にはクリスマスパーティ、How to make a differenceというテーマに添って作成したプログラム、と年に4回日本で実施するようになり、2006年にモルガン・スタンレーを退社しました。

その間に、日本のキャンプに参加している子たちがすごく海外に行きたい、世界と繋がりたいという志向になっているのに気付きました。私自身は、日本をださいと感じ、子どもの頃から人と違うことをしたかったので、どちらかというとアメリカに来たのが逃避だったかもしれません。しかし結果的に人生の後半になってくるにつれ、自分のアイデンティティを大事にし、自分の生まれた場所やものを尊厳・尊敬できる生き方がしたいと思うようになりました。まずは、日本の子ども達と一緒に何かしたいと思っていましたが、その子ども達がもっと世界を見てみたいと言った時に、その手伝いができないかなと思ったんです。色々考えた結果、家族全員の協力のもとキャンプを実施しています。主人はニューヨーカー気質で厳しいところもありますが、本当に思ったことを言ってくれる人です。何かしたいことがあったらしたいと思って向こう側に足を突っ込んだら、もうそれが成功の半分だ、片方出したら、もう片方出すしかない。結局は、可能、不可能は関係なく、やりたいのなら一歩出せ、もう片方の足はあとからついてくると言ってくれました。キャンプという片足を出して始めたら、次の足が出てきた、それはマラソンと同じで、出るといきたくなることの繰り返しです。

寺尾さんがキャンプと並行して取り組まれている旧HappyDoll(※語句説明4)の活動について詳しくお話していただけますか。

キャンプを続けている中、子ども達を観察してみると、「読まない、書かない(手紙などの直筆)、待たない(全てのことが同時進行で、聞いたことがすぐに返ってくる)」 傾向があることに気が付きました。例えば、相手に大好きですと言うとすると、相手が遠くに住んでいたら、伝えるのに1週間くらい時間が掛かってしまい、気持ちが通じているか不安になることもあるかと思います。しかし、瞬時に返答が来たら、好きです、嫌いです、で終わってしまいますよね。気持ちを相手に伝える時の、待つ、時間が止まる、という感覚は今だからこそ大切なのではと思います。それからお金を出しさえすれば買えるものが多いけれど、手書きのものや手作りのものにある、気持ち、心、愛情、時間が入ったものは捨てられないですよね。手作りの食べ物も、買っただけのものよりも100倍くらい美味しいと感じると思う。だから手作りで何かできないかなと思ったところから人形(Doll)を取り入れることを思いつき、ベスト・パートナーである主人に相談しました。

すると、知識のなさを指摘され試行錯誤を繰り返しましたが、とにかく足だけ一歩出そうと思い、最初は薄い簡素な素材を友だちに縫ってもらって作ることを開始しました。このDollの目的は、気持ち、心、愛情、時間を感じて欲しいということです。繋がるということ、もらったものを大事にすること、誰もが旅行できる訳ではないので、Dollに思いを託して物理的には旅行ができない子ども達も気持ちが旅行できるようになるという思いを全部入れたいと思いました。このことを主人に相談したところ、プログラムを作りドールの居場所を追跡できるようにしたらどうかと提案してくれました。一つ一つ番号を入れる必要があり大変な作業ですが、子ども達が番号さえ覚えていれば、コンピュータがある子どもは自分の人形がどこに行ったかを追跡することができ、世界観が広がります。コンピュータがない子ども達は残念ながら追跡はできませんが、ともかくももらったドールを喜んで手元においてくれます。これはいいのではと2011年1月に開始しました。

HappyDollという独立した組織を、2015年6月から日本の子ども達のためのサマーキャンプからはじまったMSTERIOと同じ名称にし、一つの傘の中に入れるようにしました。自分のいわゆるMy Dollが世界へ飛び出すイメージでしていこうかと考えています。

ドールでは様々な団体とコラボレーションをして活動していると伺っています。詳しく教えてください。

試行錯誤しているうちに、様々な人と出会い人との繋がりができました。人間一人では何も出来ないからと、出会った人たちと一緒にコラボレーションをするようになったら、教育関係の理事会等、様々なところから声が掛かりました。非営利についてよく知るため、幾つかの非営利団体のボードメンバーになることにしました。なったからにはお金と肩書きだけではなく、貢献できたらと思い、プログラムを一緒に作成することができるようになりました。

-友人、ボランティア-
家に会社の帰りの友達を自宅に呼び、楽しみながら皆で綿を詰めたり、型紙というやり方を分からないままに、手にまめができるまではさみで切ったりしていました。それが終わると、ミシンのできる友達へ縫んでもらい、その後、綿を詰めという作業をしばらく続けました。子ども達からは素材が非常に薄く、糸がほつれやすくて寂しいと言われ、ドールの形にすることとなり、すべてボランティアの手作業で試行錯誤していました。皆気持ちはあるけども得意・不得意があって、完成したドールの質にばらつきが多いこと、追跡機能の番号の上に絵を描いてしまい機能が作動されないこと等の問題点を改善し、今年の6月から最新の形になりました。

-ファッション工科大学-
ドールが短くて、子ども達が持ちにくいという問題があったため、ファッション工科大学(Fashion Institute of Technology or FIT) の教授に相談しにいったところ、手はこうなってないと楽しくないよとか、足も広がっていた方がいいよというアドバイスをいただき、FITの生徒さんが人形のデザインしてくれました。

-洋品店-
友人から紹介を受け、ニューヨークの中国人経営の小さな洋服の補正店で、今までの手作業ではなく、機械を使い、ドールを縫ってもらっています。一つの型紙から一度に何十枚も切れるようになりました。私たちの活動が非営利で、困難な状況にある子どもにドールを渡すことを説明したところ、半額でいいと承諾いただいて作ってくださっています。このドールは日本のお守り、隠れた宝をイメージし、一箇所、綿を詰める時に空ける穴の箇所の上にハートをつけています。

-CSR-(※語句説明 5)
自宅での作業にも限界があると考えていた時、業務委託を提案して詳しく調べてくれた方もいました。ニューヨークは私を育ててくれた場所なので「made in NYC」にしたい、ニューヨーカーが何か一緒に作ってくれるプロセスのために企業に行けば、そういうことに賛同してくれる企業もいるだろうと考え、企業を1つ1つ訪問して、説明しました。すると古巣のモルガン・スタンレーから、CSRの一環として定められている全社員対象のボランティアプログラムに入れてもらえることになり、3年前から毎月一回14時から17時まで希望者が出入りして綿を詰めてもらうという活動が開始しました。仕事の最中に社外に出なくても必須のボランティア活動ができると社員に喜ばれ、私自身は作成費が掛からず一石二鳥でした。そこでは、社内での役職関係無しに無心になってみんな綿を詰めるんです。自分で綿を詰めたドールがどこに向かうのか知りたいという人も多く、番号で追跡できることを教えるなどして、興味を持ってもらうことができました。2015年6月は社員全員ボランティア活動をするモルガン・スタンレーの「ボランティア週間」なので、私はテントを張っていいぐらい、ひたすらドールでの活動を発表して広報しています。東京三菱UFJ他、4社に賛同していただいています。

-老人ホーム、障害者施設-
私は年齢に関係なく様々な人を巻き込むのが好きです。日本のキャンププログラムを小学生1年生からお年寄りまで皆が共有できる場所とすることができました。ドールは現在老人ホームにも置かれています。また、自閉症やダウン症などの障害を持った大人達のトレーニングセンターからも、大人達が毎日ドール作りの作業に来てもらっています。職を持ち、一般の社会に出る活動に参加することをサポートしている場所で、トレーニングセンターへ通うようになりました。彼ら・彼女らに1つ作ってもらうのに多くの時間が掛かりますが、やはり作ってもらうことは重要なことだと思います。自分の時間を提供して作ってもらう中で気持ちが入ってくるので、その思いを込めた作り手のイニシャルを人形に入れることとなりました。

-NGO-
4年前、あるドールのイベントで、短パンをはいて汗だくの男の人がブースに訪ねてきました。彼は、子ども達を教育を繋げるため、不要となったパソコンを集めて必要な国へリサイクルをする活動をおこなっているとのことで、技術関係の仲間を集めLABDOO.ORGというNGOを立ち上げた創立者でした。話をしていうちに、ポテンシャルがあると思い、通常スーツケース内にパソコンを保護する緩衝材を使う代わりにドールを使用する提案をしました。箱を開けた瞬間に、ドールが見えるため、子供たちに瞬時に世界観が伝わります。パソコンが運ばれる度に、幾つものドールが一緒に旅をするというアイデアです。

-チャリティー・バースデーパーティー-
3年前に、チャリティー・バースデーパーティーをしないかと雑誌に載せてもらったことがありました。雑誌を見た方々から連絡を頂く際は、必ず一回は電話で話すことにしています。寄付金はドールのパッケージ一つにつき基本25ドルです。しかし話をしていると、シングルマザーやお金に苦労をしている方が多いことに気付きました。なので、その方々の予算に応じてお子さんが喜ぶことをしたいと伝えています。お金の価値は、人によっては25ドルの価値も1ドルの価値も同じです。1ドルしか払わないという人にドールを送りませんとは言いません。お金だけが人生の価値ではないので、子供たちが喜んで世界と繋がりたいと思ってくれたら嬉しいです。

様々な取り組みを展開していますが、私の一つの生き方として、結果よりも経過が大好きです。目指した結果どおりにならないことが世の中たくさんありますが、おこなっていく中で、新たな人と知り合うこともできるし、相手から受けた影響によって自分の中に意欲や希望が生まれることもあると思います。

ドールの持つ力や役割についてはどのようにお考えですか?

活動を始めた直後の2011年3月に、東日本大震災 (※語句説明6) が起きました。日本が大変な状況になってしまったことに衝撃を覚え、もどかしさや罪悪感を感じました。その頃、慶應病院小児科の先生にお声掛けしてくださり、震災後2週間後に被災地に入り、様々な現状を見ました。

その時にノースカロライナの小学校がオンラインで私たちの活動を見つけてくださり、全校生徒が自分で作った毛糸のドールを日本のために届けてほしいという連絡を頂きました。とにかく手渡しをしたいと請われ、震災後すぐにノースカロライナの子ども達に会い、たくさんのドールを受け取りました。また、枕も作りたいと、たくさんの枕も渡してくれました。福島をはじめ震災の被災地入りし、これらを差し上げたところ、受け取られたお母さんや子ども達は泣いておられました。「地球の裏側で全く見知らぬ人を思ってくれるということが、すごく嬉しかった」と言われて、胸に響きました。

私に出来ることは限られていますが、皆が思っている気持ちがドールという形になって伝わっていく力を実感しました。私の役割があるとしたら、人を通して繋ぎに行くコネクターというかメッセンジャーなのではないかと感じます。

また、2010年に大地震を経験をしたハイチ(※語句説明 7)の子ども達が、日本の子ども達に何かしたいとの連絡を受けました。日本とハイチの交換をすれば何かに繋がるかもしれないと思い、ハイチに向かう前に、日本の被災地の子ども達100人を集め、薄い素材でできた人形を作りました。そして、今度はハイチに行って、ドールを書いてもらい、ハイチの子ども達へ渡しました。100人の子ども達がテントの中にいるんですが、日本のドールを紹介したときの歓声と悲鳴がすごく、皆興奮して感極まっている感じでした。その状況に大変驚きました。ハイチで日本の子ども達が作ったドールを配り、ハイチの子ども達と数日一緒に遊ぶ活動を行ったのが2011年です。

このようなことを言うと語弊があるかもしれませんが、日本の震災があったことで私の中ですべき方向性が決まった気がしています。ただ繋げる、楽しいとかではなく、より深く、子ども達の気持ちを伝えるという仕事を見つけました。

最近は、ホームレスのシェルターの子ども達のところへ行って、ドールセッションをしています。心の問題を抱えている子ども達は、目が片目だったり、自分の中で傷があるところをドールに傷を描いたりします。黒人の多い地域でのセッションで、デコレーションをお願いすると自分の肌の色と違うからと、白い生地の人形をまず茶色に塗ってしまっていました。それを受け、人形の色も選べるよう生地を用意したところ、彼らも気持ちが落ち着いたようです。

がんの子供たちとセッションすると、すごく感じることは、何て言っていいかわからないということ。頑張ってと言うのも変だし、言葉がない。でもとにかく横にいて普通にしています。普通に接することは思ったよりも難しいけれど、普通に接するのが同じ人間として認め合うことだと思います。

セッションでは子ども達は色々思ったことをドールの裏に書くのですが、LOVE Hearts. FIGHT parts more. Don't bully.と書いた女の子がいました。彼女は学校でいじめにあっているのだと思いました。ドールの足元にはYou are very special.と書いてありました。自分は特別だと思いたいけれど、今の環境がそうではないからそう書くんだと思ったんです。単にドールを作るのではなく、一つ一つのメッセージを見て、本当の結びつきができたらと思います。

現在約4,500体が世界をまわっており、年間に3-4回まわるとドールの一区切りとしてリタイアメントとします。リタイアメントというのは、大きな箱に入れてクリスマスの時期にまとめて、旅が出来ない子ども達のところへ送ることです。私自身、最初は海外ばかりに目を向けていましたが、ニューヨークの中にもホームレスや精神的病、家庭内暴力等、様々な問題を抱えている子ども達も多いので、地元や個人にも目を向けないといきたいと徐々に気が付き始めたところです。

寺尾さんが今後の人生を考えたときに浮かんだテーマとして子どもを挙げられましたが、活動を通じて子ども達達について考えられたことについて、もう少し聞かせていただけますか。

子どもと向き合い、寄り添ったっていくのは、難しい問題です。私は子どもが大好きなのに、なぜ子どもを授からなかったのだろうという女性としての葛藤がありました。大病して、子宮摘出をしたので、絶対に産むことはできません。血のつながりについてすごく考えるようになりました。

私は9歳から一緒にいる義理の息子と双子の娘がいます。29歳の息子は、9歳の時に日本に行ったのがきっかけで、日本のファンになったけれど、実母が傷つくのを恐れ、ずっと言えずにいたそうです。約3ヶ月日本で私のキャンプの手伝いをしたこともあります。現在は日本に住んでいて、相撲が大好きだそうです。ニューヨークで育ったにも関わらず、日本の文化を吸収することのできる人になりました。こんなことは、彼が9歳のときには思いもよりませんでした。

義理の子ども達が10代の頃、私は日本人で再婚した人ということで、大変な反抗にあいました。お互いに嫌な思いをしましたが、空気を読むことなどできないので、とことん話し合うことを繰り返しているうちに、お互いの尊厳が出てきました。大人になった時は大人として尊重するし、子ども達も、新しい文化を知ることができました。血液は循環しており、滞ると筋腫になるものです。私は筋腫だらけの人生でした。幸せ、喜び、共存の循環、一方通行ではないというのが重要です。血は大事だけれど、必ずしも血がつながっていなくても家族になれると思っています。

皆、自分の帰る場所を求めているのだと思います。善悪の判断のない場所にいると、解放されて、自由な発想になり、自分の心が平安だと、もっと色々なことに挑戦しようという気持ちになります。私はこれから何年生きるか分かりませんが、何らかの形で、皆が自分らしく戻れる場所を作りたいと考えています。それは一つの家族の定義であり、家族をいろんなところで作っていきたいと思います。みんながふっと戻ってきて、エネルギーをチャージして、出ていく。一つのところにいないで出たほうがいいと思います。しかし、中途半端に出るのはよくないので、出るなら出たほうがいいですね。結婚も恋愛もすべてにおいて言えると思います。

ご自身の活動と国連との関わりについて聞かせてください。

国連は大きな機構なので、私のような小さな機構が入り込むのは実際には難しいですね。でも国連で仕事している友達もたくさんいます。現在国連職員で、以前にメキシコでインターンをされていた方から、メキシコの子供にドールを送りたいとのことで、二つ返事で送りました。国連という大きな機関には、入り込むというよりは、ほんの少しでもいいから役に立ちたいと思っています。世界の平和や、女性の地位の問題など、結局目指すところは同じだと思います。私たち個人ができるのは小さなことだけど、小さなことの積み重ねや、一緒に協力し合い、諸問題についてこれからも考えていきたいです。

フィラデルフィア在住の友人、鳥居ともこさんは、広島、東京、ニューヨーク、フィラデルフィアでピースコンサートをおこなっています。彼女は国連とも親しく、コンサートするときに国連からも一筆もらっているそうなのですが、先日彼女と話した時に、争いや戦争はしたくないこと、ドールがピースメッセンジャーになるような形に将来的にしていけたらと思いました。それが実現した時に、国連という大きい組織のほんの小さな一角にでもなれたらと思います。

知人の紹介でユニセフに話に行ったこともあり、アイデアは理解してもらいましたが、国連が対応している難民は、ロットが何万人とかだから、1万個のドールが送れるかと言われました。それは現状においては無理ですが、続けることによってもしかしたら可能性はあるかもしれないとも思います。

幸せの価値観は個人によってそれぞれ違います。若い頃はお金や物が価値観だったりしますが、年齢とともに変化します。ちょっとした幸せをどう創っていけるか、創ったことにより同じ志を持つ人をどのように一緒に結びつけられるかが重要だと思っています。

争い、嫉妬がない自分になることによって、志が同じ人が自然に集まってくると思います。その集まってきた人たちが協力しあい、様々な知り合いができて結びついていければと思います。ドールの活動も、日本のMSTERIOも、自分の意識で変わります。助けることは難しいことだと思うし、助けて優越感を感じるのは好きではありません。そうではなく、苦しいことも悲しいことも楽しいことも一緒に感じて、地球人として世の中のためになることをやっていきたい。自分が地球市民であるという意識を持つことが一番大事だと思います。情けではなくエンパシー、共感、共存ですね。


田瀬:こころの問題って、メンタルヘルス(※語句説明 8)という言葉は持続可能な開発目標 (※語句説明 9)には入っていますが、心の動きという意味では、エンパシーや共感は、まだまだ遅れています。国連では心の問題はまだ本格的に取り組まれていないのが現状です。数値化するのが難しく、わかりにくいのが一因です。ユニセフ等では精神科的なアプローチはするけれど、寺尾さんがおっしゃっている、寄り添って一緒にという取り組みは体系的にはおこなわれていないと思います。

寺尾さんが考えられる「国際仕事人」像があれば聞かせてください。

自分のルーツやアイデンティティをしっかりと持っている人だと思います。例えば、私はいくらアメリカ人になりたくてもなることはできません。日本に行くと、日本人らしくないと言われることもありますが、自分の持っている、与えられたものを大切にするということは若い頃できていなかったので反省しています。日本を知ることによって、世界も知ることができると思います。

それから言葉の問題があります。国際的に仕事をするのであれば英語ができた方がいいけれど、言葉はもっと深いものがあると思います。言葉の奥に秘められた深いものを、理解できる人間が国際仕事人なのかもしれません。どんなに忙しくても10分でもいいから人と会うことが大事です。これからの若い人は人と会わなくて済むかもしれないけど、人と違うこと、皆がしていないことをするといいと思います。独自性と創造性が大事です。それを生み出すためにはいい仲間と、ネットワーク、創造力を巧みにできる環境が重要だと思っています。その環境というのは自分が戻れる場所だと思うんです。

今後のご自身および活動の展望があれば教えてください。

この活動を始めてから現在に至るまでに生み出されたドールが世界中に約4500体あります。学校同士の交換などの活動も始め、ワシントンDC近郊のボルチモアの小学校とトルコにある小学校と、環境的に全く異なる2つの学校の600人の生徒をほぼ同時期にセッションをしています。人形の送り合いっこをしたら、世界観が広がり他国の文化について自ら調べようというきっかけになればと思っています。

私は教育者ではないので偉そうなことは言えませんが、上から「しなさい」という指示では子ども達はなかなか行動しないので、子ども自身が興味を持てるものがあればよいと思っています。以前日本でサマーキャンプをしていた時、落ち着きがないと言われていた子達と接する際に、興味を惹くことを大人が考えて示すと必ず集中するということを実感しました。

学校では、教室に40人の子ども達がいる中で、一人の子に集中はできないだろうし、皆に合わせなければいけないのだろうと思います。私たちの活動は学校ではないので、注意欠陥・多動性障害の子には、心理学を学んでいて将来心理学の先生になりたいというインターンの子をスタッフとしてつけています。彼らスタッフが、どうすれば子ども達が興味を持ってくれるかを考えることによって、本当に子ども達がしたいことを導き出せると思っています。

将来どうなるかは全く想像がつきません。現在活動していることも、自分が予想していたことはほとんどありません。自分がしたいと思った種を植えたら、そこに良い土があって、種が植わったがために、色々な人が集まり、芽が出て、葉っぱができて木になりました。大きな木を作ろうとしているわけではないけれど、子ども達には自分で考えたことをしてほしいと思っています。







【語句説明】
1. MSTERIO
2001年、日本国内の小学生から高校生を対象にアメリカ式サマーキャンプの開催をきっかけに、現在では、様々な分野で活躍されている方を講師として招き中高生を対象に学ぶ場を提供するテイーンズプログラム、大人の有志を募り施設や病院を訪問し、パフォーマンスを行うサンターズや、中高生たちが笑顔を届けるスマイリーズなど “Make A Difference”(自分からすすんで何かを良い方向に変えていく)をスローガンとし、人と人を繋げる様々な活動を行う団体。
参考:http://www.msterio.jp(日本語)

2. リーマン・ショック
2008年9月15日、アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが史上最大の負債総額での破綻をきっかけに、世界連鎖的な金融危機(株式暴落と信用収縮)を招いた出来事を総括的に呼ぶ。
参考:http://www.ifinance.ne.jp/glossary/world/wor005.html(日本語)

3. 五嶋みどり
大阪府枚方市出身の日本人ヴァイオリニスト。1992年に非営利団体「みどり教育財団東京オフィス」(現:認定NPO法人ミュージック・シェアリング)を設立。音楽家による社会貢献活動のモデルとして20年以上にわたり先導的な役割を果たし、その活動は時代と社会のニーズに合わせて幅広さを増している。2007年より国連ピース・メッセンジャー(国連平和大使)として、貧困、平和、環境、教育、女性問題など国連が掲げる多種多様な課題に積極的に取り組む。相愛大学客員教授も務める。
参考:http://www.gotomidori.com/japan/(日本語)

4. HappyDoll
子ども達達自由に装飾を施した人形を病気や障害が理由で旅ができない海外の子ども達子ども達に贈り、受け取った子ども達も他の国の子ども達へ人形を贈って旅をさせるMSTERIOの活動のひとつ。以前はHappyDollとして活動をおこなっていたが、2015年からMSTERIOへと名称が変更となった。現在約4,500体が世界をまわっている。
参考:http://www.msterio.org/(英語)

5. CSR
Corporate Social Responsibility (CSR:企業の社会的責任)の略称で、企業活動において、社会的公正や環境などへの配慮を組み込み、従業員、投資家、地域社会などの利害関係者に対して責任ある行動をとるとともに、社会全体の持続可能な発展にも結び付く説明責任を果たしていくことを求める考え方を意味する。
参考:http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudouseisaku/csr.html(日本語)

6. 東日本大震災
2011年3月11日午後2時46分、宮城県沖約130キロを震源に発生したマグニチュード9.0の巨大地震と、太平洋沿岸各地に押し寄せた大津波による未曽有の災害。地震の規模は国内観測史上最大。東京電力福島第一原発は津波で電源を喪失、原子炉の冷却が不能になり放射性物質を放出する重大な原発事故に。余震も頻発し、被害地域は東北を中心に北海道、関東などの広範囲に及んだ。
参考: http://www.jiji.com/jc/v2?id=20110311earthquake_80(日本語)

7. ハイチ共和国
通称ハイチは、中央アメリカの西インド諸島に位置する共和制国家である。首都はポルトープランス。1804年にフランスの植民地から独立、世界初の黒人による共和制国家でもある。独立以来現在まで国家分裂や反乱等における混乱が続いており、2010年のハイチ地震と復興の遅れが混乱に拍車をかけている。
参考:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/haiti/(日本語)

8. メンタルヘルス
精神面における健康のことである。精神的健康、心の健康、精神保健、精神衛生などと称され、主に精神的な疲労、ストレス、悩みなどの軽減や緩和とそれへのサポート、メンタルヘルス対策、あるいは精神保健医療のように精神疾患の予防と回復を目的とした場面で使われる。世界保健機関による精神的健康の定義は、精神障害でないだけでなく、自身の可能性を実現し、共同体に実りあるよう貢献して、十全にあることだとしている。精神的健康は、基本的人権であり、それを最大限に享受するという狙いから精神保健法が制定される。それら法においては、精神障害を人権に配慮して治療し、また予防し、そして社会共同体の中へと回復し、精神的健康を維持し増進していくことがその方法として宣言されている。
参考:http://www.who.int/features/factfiles/mental_health/en/(英語)

9. 持続可能な開発目標 (Sustainable Development Goals or SDGs)
2000年9月、国連ミレニアム・サミットに参加した189の国連加盟国代表により、21世紀の国際社会の目標として、より安全で豊かな世界づくりへの協力を目指すミレニアム開発目標(MDGs)を補完するため、2012年6月開催の国連持続可能な開発会議(リオ+20)において、持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals、SDGs)を設定。2015年9月の持続可能な開発サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に17の持続可能な開発目標が入っている。
参考:https://sustainabledevelopment.un.org(英語)
参考:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/doukou/mdgs/p_mdgs/index.html(日本語)


2015年6月23日、ニューヨークにて収録。聞き手:田瀬和夫、小田理代、上川路文哉、グスタフソン栄、佐藤和直、志村洋子、若林慧、写真:田瀬和夫、ウェブ掲載:三浦舟樹、担当:奥田、木曽、志村、瀧澤、鳩野

2015年1月11日掲載
※記事に掲載されている情報は2015年6月当時のものです。

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