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第44回 池田 直史さん
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)南スーダン事務所
保護官補


仮設の一時滞在所前で帰還民のリーダーと

 




池田直史(いけだなおふみ) 大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。NHKで記者として3年間勤務後、米コロンビア大学国際公共政策大学院に留学し、国際関係学修士号(人権専攻)取得。在学中にUNHCRイエメン事務所でインターンシップ。大学院卒業後、在UAE日本大使館やUNICEFウクライナ事務所での勤務を経て、2012年から外務省委託平和構築人材育成事業(HPC)に参加し、同5月からUNHCR南スーダン事務所でAssociate Protection Officer(UNV)として勤務中。

 

1. はじめに

南スーダンは、20年以上に及んだスーダンの南北の内戦を経て、2011年7月9日にスーダンからの分離・独立を果たした世界で最も新しい国です。他方で、独立後も南北スーダンは、国境線の画定や国境付近の石油利権をめぐる争いは続き、現在も交渉が行われています[1] 。こうした国境紛争の激化に伴い、スーダン側の南コルドファン州と青ナイル州から南スーダン側に20万人近い難民が流入してきており、人道支援上も困難な状況が続いています。

このフィールド・エッセイは、私が駐在している南スーダンの首都ジュバや国境近くの難民キャンプへの出張など現場での保護や支援の活動を通して感じたことを踏まえつつ、南スーダンの難民や帰還民に関する現状や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)南スーダンの事業の様子などについて紹介していきたいと思います[2] 。主に、私がこれまでに関わった南北スーダンの国境近くの難民キャンプでの緊急支援、ジュバでの都市難民への支援、そしてスーダンからの南スーダン人の帰還民に対する支援の3つの点から南スーダンにおける人道支援の状況について知って頂ければ幸いです。

 

2. 国境沿いのスーダン難民への緊急支援

南スーダンの独立と前後して、2011年半ばから南北国境沿いでは北スーダン政府軍とSPLA−N(北部スーダン人民解放軍)という武装組織が武力衝突を繰り返しており、スーダンの南コルドファン州から南スーダンのユニティ州に7万人あまり、同じく青ナイル州から南スーダンの上ナイル州に11万人を超える難民が流入してきています。これらの大量の難民を受け入れるため、UNHCR南スーダン事務所は他の国際機関やNGOと協力して、南スーダン政府の了承のもと、上ナイル州のマバーン郡に4つの難民キャンプを、またユニティ州に3つの難民キャンプを設置して、難民の保護や支援にあたっています。

私も、昨年の9月から10月にかけて5週間に亘り長期出張で、上ナイル州マバーン郡のジャマーム難民キャンプに滞在して緊急支援活動に携わりました。その中で、主な業務の一つが昨年7月から8月にかけての大雨で一部浸水したジャマーム難民キャンプの難民を50キロほど離れたゲンドラサ難民キャンプに移動させるというものでした。南スーダンは、5月~10月頃が雨季で、11月~4月頃が乾季と言われていますが、さらに状況が悪いのはこの辺りは黒土の粘土質の極めて水はけの悪い土壌で、大雨が降るとなかなか水が引かずに写真のように大きな水たまりになってしまい、ジャマーム難民キャンプの難民の居住地域やその周りが浸水してしまいました。そこで、昨年7月から比較的立地の良い場所に新たにゲンドラサ難民キャンプを設置して、難民を移動させるオペレーションを開始しました。私も、NGOと協力して、移動させる難民のグループの選定、難民のリーダーからの同意の取り付けや移動に関する段取りの説明、実際の移動に際するトラックやバスのアレンジ、移動当日の送り出しや受け入れ先の難民キャンプとの調整、また未舗装の道路で雨で道路状況が悪化しているためその整備の依頼などを含めて全般を担当して、5週間の間に4,000人を超える難民に新しいキャンプに移動してもらいました。


大雨のため、難民の居住地域の一部が浸水したジャマーム難民キャンプ。

さらに、これは南スーダン全体について言えることですが、雨季になると、ほとんどの道路がアスファルト舗装されていないため、雨ですぐにぬかるんでしまい、トラックなど大型車両はすぐに立ち往生してしまい、物資の調達や供給が困難を極めます。また、雨季になると、マラリアや下痢などの病気も乾季に比べると蔓延しやすくなり、難民キャンプではこうした病気で亡くなる人も少なからずいます。また、難民キャンプは衛生状況が必ずしも良いとは言えず、汚染された水や食べ物など経口感染を引き起こすE型肝炎が広まり、これまでに昨年7月以降100人を超える難民が犠牲となりました[3]

では、乾季になると、これらの問題が少なくなり状況が好転するかというと、乾季は乾季で別な問題が起きやすくなります。乾季になると、雨がほとんど降らず、道路状況は改善し、陸路での物資の供給は比較的容易になります。しかし、道路状況の改善は、軍や武装勢力にとっても同じで彼らの活動も活発になり、より武力衝突が増え、難民も増えると言われています。そのために、私がジャマーム難民キャンプに滞在していた昨年9月から10月頃は、乾季に入ってからの難民の大量流入の可能性に備えて、一時滞在所の建設や新しい難民キャンプの場所の選定などの準備作業がすでに始まっており、私も一部その場所選定のアセスメントなどに関与しました。また、常に難民の流入の兆候を掴むことは重要な仕事の一つで、新たにキャンプに到着した難民から現地での戦闘の様子や人道状況などを聞き取ったり、下の写真のように国境沿いまで新たな難民流入の気配がないか調査に行ったりして、情報収集に努めています。


南北スーダンの国境の川。特に乾季になると、川の水が引き多くの難民が通る地点

また、昨年11月には、南スーダンでは初めての指紋認証を使った難民登録の導入のための応援出張で、南スーダンでは最大となる7万人以上の難民を抱えるユニティ州のイーダ難民キャンプにも行きました。私が滞在している間、ちょうどアントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官も視察のためにイーダに来ましたが、このキャンプは国境から10キロあまりしか離れておらず、常に軍事的な脅威に晒されていると指摘されています[4] 。このため、UNHCRは現在、国境からより離れたユニティ州の内部の安全な場所に新しいキャンプを作り、イーダ難民キャンプから難民を移動させる準備を進めており、間もなく新しいキャンプがオープンする予定です。


ジャマーム難民キャンプでともに働いた現地採用の地元南スーダン人のスタッフの同僚たち

最後に、業務の話とは離れますが、こうした難民キャンプで活動するUNHCRの職員の生活についても紹介したいと思います。私たちの住居はキャンプ内にあり、ジャマーム難民キャンプは職員用のコンテナ・ハウスがありましたが、イーダ難民キャンプでは職員もテント暮らしです。シャワーも、バケツに水をくんで浴びるか簡易シャワーしかありません。食事は、一応三食職員用の食堂で出ますが、基本的にお米(と言っても日本のようなお米ではなく、長粒米)や豆や羊を煮込んだものが中心で、ほとんど毎日変わらないので、持参した食料なども取ったりします。このほか、特にジャマーム難民キャンプで大変だったのが、大量の虫が発生していて、特に夜は蚊などに刺されないよう気を付けなければなりませんでした。ただでさえ大変な職務環境なのに加えて、難民を支援する前に自分の体調管理も重要だと感じました。

 

3. 都市難民への支援

次にジュバでの仕事ですが、現在は昨年12月から主に都市部に住む難民(都市難民)の保護・支援事業を担当しています。ジュバに滞在している都市難民の多くも、現在は南コルドファン州や青ナイル州の出身者が中心となっています。今年2月に、ジュバでも指紋認証を使った難民の登録作業を2週間にわたり行い、5,000人あまりの難民を登録しました[5] 。難民の登録は、難民保護の分野で最も欠かせない最初のステップになります。今回の登録は、現在も紛争が続いている南コルドファン州と青ナイル州から逃れてきた難民に限定されており、中にはUNHCRから支援を受けようと、対象とならない人も少なからず紛れ込んで来ようとするので、そうした場合は個別に詳しくインタビューし、難民として登録できるかも審査をします。また、これまでジュバの都市難民に対しては、定期的に登録するシステムがなく、このように不定期に登録作業をやっていたのですが、毎月決まった日に登録日を設け、定期的な登録作業ができるように現在準備を進めています。こうして登録した都市難民に対して、パートナー団体の2つのNGOと協力して、保護や支援に取り組んでいます。


ジュバでの指紋認証を使った登録の様子

都市難民は、キャンプとは違いそれぞれがばらばらにジュバの街の中で暮らしているため、個々の様子が把握しづらく、難民とのコミュニケーションが難しいという点が都市難民の事業の一つの課題となっていました。キャンプなら難民のコミュニティーがかたまって暮らしているので、難民への情報伝達が比較的容易なのですが、都市難民はばらばらに暮らしているので、情報伝達が非常に難しいという問題がありました。そこで、都市難民の多くは携帯電話を持っていますし、遠隔地にあるキャンプとは異なり携帯の電波も通じることから、携帯電話のメールを使った情報伝達を始めることを決めました。そのサービスを導入するために、携帯電話会社との交渉、技術的問題の確認、サービスの試験的実施、予算の獲得など一つ一つハードルをクリアし、先月から(2013年3月)、やっと本格的な実施にこぎつけました。このサービスは都市難民からも大変好評で、都市難民に対する効果的なコミュニケーションの手段を確保できたと思います。

また、都市難民への支援は制約も多く、難民の保護や基本的な医療支援などは行っていますが、キャンプとは異なり毎月の食糧支援はなく、物価の高いジュバでの生活はキャンプに比べて必ずしも楽という訳ではありません。このため、今後は、身寄りのない子どもやお年寄り、障害を持つ難民などより支援を必要としている家庭を割り出し、限られた予算の中でこのような難民へ重点的にどのような支援が可能か検討する必要があります。都市難民の代表やパートナー団体のNGOとの意見交換をより緊密に行いつつ、短期的にはより支援を必要としている脆弱な家庭への支援を、中長期的には生計向上支援や農業支援など自立を促すような形でできる限りの支援を向上させていくことが今後の課題です。

 

4. スーダンからの帰還民支援

 南北スーダンが包括的和平合意に署名し、内戦が終わった2005年から南スーダンの独立を経て、スーダンなどに住んでいた多くの南スーダン人が独立した母国に帰還しました。その数は、現在はやや減少傾向にありますが、IOM(国際移住機関)によると、2007年から2012年までの間で180万人を超える南スーダン人が母国に帰還したと言われています[6] 。多くの帰還民が、バスなどの陸路やバージと呼ばれる船(はしけ)でナイル川をさかのぼって水路で帰国します。UNHCRも、ジュバなどの南スーダン各所にウェイ・ステーションと呼ばれる一時滞在所を設け、最終目的地に到着するまでの間など帰還民がスムーズに帰還し、定着できるように支援を行っています。

 通常は、陸路や水路で数百人から1,000~2,000人規模で徐々に帰還してくるのですが、昨年前半南北の国境をめぐる対立など両国の緊張が高まったことなどに伴い、スーダン側で足止めされていた帰還民約12,000人を昨年5月中旬からおよそ1か月間で空路でジュバに急きょ帰還させるということになりました。これだけの数の帰還民が一度に帰還することはこれまでもなく、ジュバのウェイ・ステーションに一時的に滞在できる人数の限度も1,500人から2,000人だったことから、ジュバ郊外に緊急で仮設の一時滞在所を作り、帰還民を受け入れることになりました。私も、ちょうどこの頃に赴任し、この仮設の一時滞在所での帰還民の保護が最初の仕事でした。NGOのパートナーと協力して保護が必要な帰還民に関する案件のフォローアップ(経過観察)をしたり、脆弱な家庭を割り出す作業を行ったりしました。


仮設の一時滞在所で遊んでいた帰還民の子どもたち

 この約12,000人の帰還民のうち、多くはもともとの出身地や親せきがいる最終目的地に帰還していきましたが、最終的に約1,500人がスーダンでの滞在も長期にわたったことから、親せきや親などの出身地との関わりが薄く、帰還する場所がないという問題を訴えました。しかし、こうした残りの帰還民も南スーダン政府と地元コミュニティーの決定により、ジュバから一時間ほど離れたところに土地を付与されることになり、昨年12月にその最終定住地に移動しました。ただ、今後彼らが自分たちの力で自立していける方法を見つけ、最終的に南スーダンに定着していけるかも重要なところです。

 

5. おわりに

 南スーダンは、独立してからまだ2年にも満たない若い国で、特にインフラや制度面などまだまだ未整備のところが多くあります。それに加えて、スーダンとの国境線や石油利権をめぐる対立の影響から、経済も停滞しています。そのような現状の中で、UNHCRや関係機関は、20万人近いスーダン難民への保護や支援、それに大量の帰還民への帰還支援にあたっています。また、今回のフィールド・エッセイでは述べませんでしたが、ジョングレイ州で続く部族対立や反政府勢力との武力衝突などによる国内避難民の発生やエチオピアからの難民の流入、そして南部ではコンゴ民主共和国や中央アフリカ共和国から神の抵抗軍 (Lord's Resistance Army:LRA)などの武装グループから逃れてきた難民に対する支援や南北スーダンの分離による無国籍者の発生を防止するための支援など様々な課題に取り組んでいます。

 こうした中で約1年間、私も少しずつですが、色々な仕事を経験することができ、また現場での仕事も多くできました。他方で、南スーダン自体が物事が全てスムーズに進むような環境にはまだなく、一筋縄ではいかないことも多々ありました。その中で、何とか関係機関と調整しつつ、一つ一つ仕事を進めていっています。そして、何より自分が責任感と柔軟性を持って、難民や帰還民の声を聞きつつ、今後も保護や支援のあり方について可能な限り最善を尽くしていきたいと考えています。




 

[1] 本稿起案後の4月12日にスーダンのバシール大統領が、2011年7月の南スーダンの独立日以来約1年9か月ぶりに南スーダンの首都ジュバを訪問し、南スーダンのキール大統領と首脳会談を行い、今後両国間の関係正常化に向けて協議を続けていくことに合意し、政治的・外交的解決が期待されています。

[2] 本稿は、2013年3月22日現在の情報をもとにしています。また、本稿はあくまで筆者の個人的立場と考えに基づいて書かれたもので、必ずしもUNHCRの見解を代表するものではありません。

[5] 南コルドファン州と青ナイル州出身のスーダン難民に対しては、難民数が多く個人審査による難民認定が難しいため、現在南スーダン政府の了承に基づき、基本的にグループとして難民認定を行い、難民を登録をしています。

[6] IOM South Sudan Annual Report 2012, p2

 

(2013年5月1日掲載 担当:佐伯康考 ウェブ掲載:田瀬和夫)