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国連職員NOW! 第174回:角谷亮さん 国連パレスチナ難民救済事業機関ヨルダン事務所(UNRWA)事務所長特別補佐官

国連職員NOW!
第174回:角谷亮さん
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)
ヨルダン事務所 事務所長特別補佐官

国連職員NOW!第174回では、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)のヨルダン事務所で働いていらっしゃる角谷亮さんにお話を伺いました。角谷さんはパレスチナ難民へのサービス支援を行うプロジェクトに従事しておられます。現場でのプロジェクト経験、NGOから国際機関へと転身されたキャリアなど、温かい人間性を感じられる角谷さんのインタビューをお楽しみください。

Photo: Kazuo Tase



(プロフィール)

角谷 亮(かくたに りょう):大学卒業後、在外公館派遣員としてナイジェリア、フィリピンで勤務。その後、国際協力NGO であるAAR Japan「難民を助ける会」に入職し、タジキスタン、南スーダン、ケニアに駐在後、東京本部で勤務。その後、大学院にてアフリカ地域、主に南スーダンにおける紛争メカニズムについて学ぶ。大学院修了と同時に、広島平和構築人材育成センター(HPC)の海外研修の一環で、国連ボランティア(UNV:United Nations Volunteers) として、UNRWA レバノン事務所に派遣され、レバノン事務所長特別補佐官として勤務。現在は、ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO:Junior Professional Officer)として、UNRWA ヨルダン事務所にて事務所長特別補佐官の職に就く。

Q: これまでのご経歴、国際協力に興味を持った原体験・きっかけがあれば教えてください。

大学を卒業して最初のキャリアは大使館の在外公館派遣員として、2年間ナイジェリアで仕事をしました。その後、任期を半年延長し、フィリピンに行きました。
私が国際協力の道に進んだきっかけとして、特にこれといった出来事があったというわけではありませんでした。地元兵庫では海外に縁のある知り合いはいなかったんですが、昔から国際協力にずっと興味があり、漠然と海外で働くってカッコ良いなあという意識を持っていました。大学4年生の時、同級生が休学をして在外公館派遣員として働き始めたことを知り、私も卒業後に直接海外で働ける選択肢として派遣員を目指すようになりました。
そして、卒業と同時に、ナイジェリアに派遣されました。実際に働いてみると、派遣員の仕事は基本的に事務所の中での作業が多く、上司からの指示に従って淡々と行うことが大半でした。そのような仕事を経験する中で、より現場に近いところで現地のことについて知りたいと思うようになり、2007年に「難民を助ける会(AAR JAPAN、以下AAR)」に転職し、休職も含めて2017年までAARで勤務しました。
AARでは、海外勤務が長かったのですが、最初は中央アジアのタジキスタンに派遣されて、その次は南スーダン、ケニアという順番でアフリカ地域での勤務を経験しました。そして、目黒にある東京本部で1年半勤務した後、大学院に入学しました。大学院在学中に、広島平和構築人材育成センター(HPC)のミッドキャリアコースに参加する機会があり、コースを修了した特典として国連ボランティア(UNV)に行けるということを知りました。
私は、それまで10年間、国際支援の仕事に従事してきましたが、AARという一つの組織でしか働いたことがなかったので、自分がこれまで経験してきた場所以外でも挑戦したいと思い、HPCを通じてUNVに応募することにしました。そうして、去年UNRWAのレバノン事務所に派遣されたという流れです。そこでUNRWAと出会って、もう少しUNRWAでパレスチナ難民支援の仕事をしたいと思い、現在はJPOとしてUNRWAのヨルダン事務所で働いています。

Q:それでは、国際協力のキャリアに足を踏み入れたきっかけは、大学での授業や経験などというよりご自身の海外で働きたいというパッションが大きく影響していたのでしょうか?

そうですね、その熱意の方が大きかったです。ただ、私は兵庫県神戸市出身なんですが、1995年の阪神大震災で当時私も被災者として震災を経験したことも影響しているのではないかと思います。
最初の勤務地として、アフリカ・ナイジェリアを選んだのは、日本から遠くて想像もできないような国に行ってみたかったから、という漠然とした思いです。それがご縁になったのか、その後のキャリアでも、南スーダン、ケニアで滞在する機会を得て、これまでに7年以上アフリカで滞在することになりました。

Q:海外で実際に働き始めた時にびっくりしたことや、思い描いていた海外での仕事のイメージと実際に働いた時のギャップなどはありましたか?

15年ほど前に最初に海外赴任したナイジェリアで感じたのは、日本と違っているところもありますが、意外と変わらないところも結構あるということでした。たとえば、アフリカでは地平線が広がっているような広大な風景は勿論ありますが、一見すると首都の町並みなどは日本の中都市とそこまで変わらない気がします。むしろ日本より大規模な都市の風景もあったりします。アフリカでは所謂近代化といいますか、発展している一面を垣間見ることがある一方で、地方に行くと貧困の度合いが一目で分かる景色もあったりして、1つの国の中でこんなに違うところがあるんだという印象を持ちました。
これまで私は、それぞれ国の現地団体ではない、日本のNGO、そして今は国連という組織に所属し、外国人職員として海外で勤務していますが、そうした外から来たよそ者が、どこまで付加価値を付けた活動を出来ているのだろうかというジレンマや葛藤は常にあります。

Photo: Kazuo Tase

Q:大学卒業後、国際協力の道に進むにあたり、ファーストキャリアに悩む人が多くいますが、大使館での仕事か、もしくは他の選択肢と迷うようなことはありましたか?

私の場合は、大使館とJICAの青年海外協力隊という選択肢から選びました。迷ったというより新卒で、お給料をもらいながら海外で働くことができるキャリアは、当時、その2つの道しか私が知らなかったんだと思います。その中でも大使館を選んだ理由は、協力隊より早く採用が決まったからです。
今の仕事をしていると、大使館での勤務が活かされていると思うことがあります。たとえば、NGOの仕事や今のUNRWAの業務では、人事関係や財務・予算関係、プロジェクトマネジメントなど色んな作業に関わるため、事業全体に広く目配せをしながら仕事ができる能力が求められます。様々な仕事を同時並行で進めていき、決まった予算・時間内できちんと成果を出すことが求められます。何でも屋として色んな業務を任される大使館での仕事と通じることが多いと思います。
大使館の仕事は、細々とした仕事も多く、また自分にとっては、初の社会人、初の海外勤務など、大変なこともあったと思いますが、同僚や上司に恵まれていたことは大きかったです。私は仕事をする上で、一緒に働く人と実際の仕事内容の2つが重要だと感じていますが、辛い時でも同僚に恵まれていたのは本当に良かったなと思います。
 

Photo: Kazuo Tase

Q:今こうやってお話をしていて、角谷さんの温かい人間性を感じます。そうした人間性は、途上国で仕事をする上でとても重要なのではないか、と感じるのですが、現地の人と接する中でご大切にしていること等、気をつけていることはありますか?

現地の人と接する上でコミュニケーションはずっと大事にしてきました。
たとえば、日本のNGOは欧米のNGOなどよりも規模が非常に小さく、日本人が海外派遣される場合、海外駐在員としてマネージメントのポジションに就くことが多いです。そのため、現地スタッフの取りまとめる役となります。現地スタッフは、赴任先の言語はもちろん、現地の文化や風習などにも通じているんですよね。そして、彼らの中には、数十年近く人道支援の現場で活動し、自国の内戦を経験しているような強者の年配の方もいます。そうした仕事経験、人生経験豊富な人たちの中に、大学卒業したてで、人をマネージした経験もない日本の若者が来て仕事を共にするためにも、きちんとコミュニケーションを取りながら仕事をしていくことが重要だと実感してきました。
また、NGOの時は日本人職員が駐在代表として、最終的な決定をしないといけないので、その時に皆の意見を考慮しつつも最終的には自分が決定をして責任を持たないといけないです。反対意見があったとしてもきちんと納得してもらわないといけない時もあるので、そういう場面も含めてコミュニケーションは常に大切にしています。
関西出身だからコミュニケーションや他人との意思疎通を、他の人以上に大事にしているというわけではないんです(笑)

 

Photo: Kazuo Tase

Q:NGOでのご経験を長くお持ちですが、難民を助ける会(AAR)で具体的にどんなお仕事されてきたのでしょうか?

活動国によって事業が違うのですが、たとえば最初に赴任したタジキスタンで担当していたのは障がい者支援で、養蜂、つまり蜂蜜を作って生計を立てられるよう職業訓練をおこなっていました。また、南スーダン(赴任当時は、南部スーダン)では、2005年までスーダン内戦があり、内戦中にケニアに難民として、逃れていた人たちが、内戦終結とともに、徐々に南スーダンに帰還してきていた時期ですので、帰還民・ホストコミュニティ支援という枠組みで、水衛生や基礎保健の事業を担当していました。その後、2013年に、今度は南スーダン国内で内戦が発生したため、南スーダンから再度ケニアに避難した人たちへの難民支援事業をケニアのカクマ難民キャンプで実施しました。
具体的な仕事としては、プロジェクト・予算を策定し、適切に履行・管理することです。そのためにプロジェクトの進捗管理はもちろんですが、会計、人事、ロジなど、まさに何でも屋の仕事です。なお、日本のNGOは自力で資金調達する基盤がまだまだ弱く、公的助成金という形で日本政府であれば外務省、大使館、JICA、あるいは国連ならUNHCRやUNICEFといった団体に事業申請書を提出し、資金を調達してプロジェクトを予定通り進めるというような、全体的なマネジメントをすることが多かったです。

Q:現地の人に働きかけるところから、全体的なプロジェクトのマネジメントまで幅広くご経験されてきたというお話でしたが、印象的だった出来事・お仕事はありますか?

これまでいくつかの国で勤務する経験を得ましたが、南スーダンが、これまでの駐在地で一番長く勤務した場所であり、また、国の独立前後という時期に滞在したこともあって、色々と思い出も多い場所です。
南スーダンは、1983年から2005年まで続いたスーダン内戦を経て、2011年に独立した国です。私は2009年から2013年まで駐在していたのですが、当時、自分より年下の二十代の若者が「私たちは自由を勝ち取った、尊厳を手に入れたんだ」という言葉を日常的に口にしていたのが印象的でした。ヨーロッパなどでも「自らの手で自由をものにする」という意識があるかもしれないのですが、日本では、自由とは、特に気にしなくても、そこにあるもの、もしくはお上から与えらえたもの、つまり、自らが能動的に手に入れるという意識が薄いと思います。そうした環境で生まれ育った私にとって、南スーダンの若者が語る尊厳や自由、また自分たちが国造りをするんだという思いに圧倒されたのを覚えています。
では、自分の母国である日本はどうか、そして自分自身はどうあるべきか、ということを強く考える機会でもありました。

Photo: Kazuo Tase

Q:NGOと国連で働いてきた中で、たとえば仕事をするときの周りの人たちとの関係性などについて、それぞれに違いはありましたか?。

色々な違いがある、という一言に尽きるとは思うのですが、やはり規模感や自分が与えられている仕事が違うというところが大きいと思います。
私が働いていたNGOは日本のNGOの中では大きい方ですが、それでも、私が勤務していた当時で、東京本部、国内の事務所、海外駐在事務所全て合わせて邦人職員が70~80名程、現地事務所の職員全て含めてもその3倍程だったと思います。かたや、UNRWAは、5つの地域に職員が合計3万人です。ただ、NGOは規模が小さいだけあって、組織の中での意思決定は早いです。これはNGOの強みで、現地で状況が変わっても臨機応変に対応できます。プロジェクトをやろうと思って2・3年かけて調査しても、状況は常に変わっています。一方で、団体の規模が小さい場合、様々な資源が限られているので、県・国レベルなど、大規模にインパクトを出すのは難しいという面はあります。
一点補足をすると、UNRWAは、国連機関ですが、他の国連と違う点があります。それは、実際にUNRWA職員が、自前でサービスを提供しているという点です。たとえば、UNRWA同様、学校や病院、職業訓練校などの事業を実施している国連機関は他にもあります。しかし、実際にそこで勤務している教師や看護師、また技術指導者の大半は、国連の資金助成を受けたNGO職員、場合によっては受け入れ国の政府職員です。一方、UNRWAでは、UNRWAの学校、クリニックでは、基本全員がUNRWA職員であり、ヨルダン国内だけで約6,500人がUNRWA職員として、様々な分野で活躍しています。その分、UNRWAが動いた時のインパクトは大きいですね。
それから、NGOと国連では、職員一人一人に求められていることも違います。たとえば、国連ですとそれぞれの専門家が個々の専門性を生かしてそれぞれの仕事を遂行しますが、事務所全体で見た場合、規模が大きい分、全体の中の一業務を担当しているという印象です。一方、NGOの場合、事務所を統括するマネージメントとして派遣されることが多いので、一つの業務に注力するというよりは、事業全体を見ながら、事業運営、事務所運営を行っていくことが求められます。私は、今の仕事でも、そうした「何でも屋」的な職責ですので、NGOの経験は活かされているように感じます。
NGO、国連の両方に当てはまることだと思いますが、難民をはじめとする国家の狭間にいる人たち、また複数の国に跨るイシューが世界では発生しており、一国では支援できない、また支援しようとしないということもあると思います。そうした問題に直面している人々への支援ができるNGOや国連は、引き続き大事な存在であり続けると感じます。
今のUNRWAの仕事であるパレスチナ難民への支援でいうと、UNRWAはその存在自体が、政治的な要素を多分に含んでおり、その分、政治的な攻撃も受けやすく、実際に受けています。そういう外部要因があるなかで、UNRWAは、自らの使命のもと、支援が必要な人々にアプローチできるという意味で重要だと思います。

Photo: Kazuo Tase

Q:パレスチナ難民についてどうお考えですか?

ヨルダン国内に限っていえば、パレスチナ難民の9割近い人々がヨルダン国籍を持っており、一見するとヨルダン国民とあまり変わりません。パレスチナ問題という場合、政治的な側面と、社会的な側面があり、貧困や雇用などといった社会的な面は、ヨルダン、ひいては中東地域の大きな文脈の中の一つのグループとして、パレスチナ難民が位置づけられていると思います。つまり、貧困や高い失業率など中東地域で、ある程度共通する経済、社会課題を解決しない限り、ヨルダンの中のパレスチナ難民の生活向上も難しいと感じます。
パレスチナ難民はヨルダン国籍を持っているのに、UNRWAが支援する必要はあるのですか、とおっしゃる方も少なからずいらっしゃいます。パレスチナ難民を受け入れている各国ホスト国でも対応が様々ですので、一言で説明するのは難しいのですが、UNRWAは、保健や教育機会の提供といったサービス提供者としての一面がある一方、パレスチナ問題のもう一つの側面である政治的な側面もあります。つまり、パレスチナ問題の解決を見届けるという点です。国際社会がパレスチナ問題を忘れていないという意思の表れといっても良いかもしれません。
時間がいくらたっても、彼らが自分たちの故郷を追われているという状況に変わりはなく、他国の国籍をもつことで、その状況が変わるわけではない。問題を解決する時間が過去70年間あったのに、国際社会は解決策を見いだせてこなかったとも言い換えられます。


Q:UNRWAは最終的になくなることが望ましいとお考えでしょうか?

UNRWAを含めて、国連機関は、その時々の問題への解決や対応をするために設立されているので、理想論から言えば、国際機関はなくなるのが良いのだと思います。それぞれの問題が解決したという証だからです。ただ、実際は、問題が長期化したり、時間の経過とともに新たな問題が発生しています。残念ながら、国を単位としたアクターだけでは、解決が出来ない事柄が多く発生しているので、UNRWAを含めて国連、そしてNGOのような組織が今後も重要な役割を担うのではないでしょうか。

Photo: Kazuo Tase

Q:UNRWAで支援を続けていくために資金調達は必須であると思うのですが、どのように取り組まれていますか?

難民・国内避難民問題だけを考えても、世界各地で難民・国内避難民は発生しており、支援国の間でUNRWAの優先度は必ずしも高いとはいえないのが現状です。その中で、まずはドナー国(UNRWAへの支援国)の多様化へ力を入れようとしています。
以前、UNRWAは予算の3割近くをアメリカ1か国に依存していました。ただ、2018年にトランプ大統領がUNRWAへの支援を全面的に停止することを発表し、1つの国に依存することのリスクを改めて実感しました。その後は、これまで以上に、伝統的に支援国であったヨーロッパはもちろんのこと、湾岸諸国やアジアの国々にも支援国になってもらえるように働きかけを行っており、民間企業との連携の可能性も積極的に模索しているところです。
一方で、全ての資源は有限であることには変わりはないので、限られた資金で最大のインパクトを出せるように、効果的に、効率的な資金活用を目指して、事業実施時には各担当部署が知恵を絞っています。例えば、UNRWAクリニックでの電子カルテの導入や、JICAとの協同で実現した母子手帳のデジタル化、太陽エネルギーによる各施設の発電などは、その成功例の一つです。

Q:これまでどのようなお考えで、現在のキャリアを築いてこられたのですか?

基本的にはNGOまたUNRWA職員としてやるべきこと、自分のやりたいことを両立してやってきました。これまでのキャリアのほとんどがNGOでの活動でしたが、現地で目の前の仕事に向き合っていたら10年が経ったというのが正直なところです。NGOで働いていた時は、アフリカ滞在が長かったですが、中東、もしくはUNRWAで働くということは想像もしていなかったです。NGOで10年間働いた後、10年という区切りでもあり、他のことにも挑戦してみたいと考えるようになり、UNV、そしてJPOのスキームを活用して、キャリアチェンジをしました。

 

Photo: Kazuo Tase

Q:普段どのように息抜きをしていますか?

ストレス発散という意味では、そもそも、そこまで深く悩まないタイプです。一人で悩んでいても仕方がないので、仕事のことで困ったら、同僚や同じ業界の人に話をするか、自分で調べるようにしています。
ただ、気分転換という意味では、歩くことですかね(笑)。南スーダンにいるときなどは、30分かけて歩いてマーケットに行くことが息抜きになっていました。ヨルダンに来てからは、テニスを始めました。あとは、映画もよく観ています。好きな映画は、もう100回程、観たんじゃないですかね、好きなシーンを見ては、一人で盛り上がっています(笑)

Q:角谷さんは今後どのようなキャリアを歩んでいきたいですか?

正直、今までは目の前のことをしっかりやることに力を注いできており、中長期的な自分のキャリアについて明確に考えていませんでした。国連という職は、1年未満の短期雇用が多く、今後はこれまで以上にキャリアを考えていかなくてはいけないです。年齢が上がるにつれて、高度な専門性を求められるので、方向性をどうしようか悩んでいます。自分がいったい何できるのか、ということをしっかり考えていきたいです。もしかしたら向いているのかなと感じることを、頭の中で整理していきたいです。

Q:若い頃からやっておいたほうがいいことが何かあれば、教えてください。また、これから国際社会を舞台に仕事をしたいと思っている人へのメッセージをお願いします。

私の若い頃と社会が変わってきているので、もしかしたら私のような年上の人がこれをやったほうがいいと助言することはあまり意味がないかもしれません。ネット記事などで、今の(年配の)経験者に話を聞くコーナーなどを目にしますが、例えば過去の5年間の変化と次の5年間の変化の質やスピードは、まったく違うはずです。過去の経験が全て意味がないとは思いませんが、「(これまでの経験から)これを勉強したほうがいい、この技術を習得したほうがいい」というようなことは、あまり参考にならないのではと思っています。
私が大学生だった15年前の状況と現在の大学生では、アクセスできる情報も大きく異なるはずです。たとえば、この国連フォーラムが良い例です。私の学生時代には、ここまで充実した海外へのスタディ・プログラム(注:国連フォーラム主催のスタディ・プログラムのこと)はありませんでした。本当に羨ましいです。自分の興味関心に合うような情報を手に入れられるように、いろんなところにアンテナをはるのがよいでしょう。
世の中の流れは早いので、大学で修士、博士に進学したところで、その時に学んだことだけで一生食えるような時代ではなくなっているんだと思います。若いときにいろいろなことに挑戦して、自分の強み弱みなどを知りつつ、色んな状況に対応できるような能力をつけていくのが、良いんだろうなと思います。そのいくつかの強みが仕事でつかえる専門性にまで磨くことができれば、非常に素晴らしいですね。いろいろなことに興味をもって、多趣味になっておくことがよいと思います。

 

Photo: Kazuo Tase

【参考資料・URL】

特定非営利活動法人 難民を助ける会 活動ニュース『南スーダン:29万人に届けた安全な水』(2016年)
https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0976-b/

広島平和構築人材育成センター(HPC)『平成 29 年度ミッドキャリア・コース研修員 角谷亮さんの声』 (2017年)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000490899.pdf

特集 学生と市民のための公開講座『現場からの法律学・政治学 Ⅱ』 『日本の人道援助活動の現状と課題』https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/2900266.html

 

2019年9月18日アンマンにて収録
聞き手:朝比奈美央、木村茉莉、清野友紀、桑原未来、真崎宏美
写真:田瀬和夫
編集:岡本昻、北萌
ウェブ掲載:岡本昻、桑原未来