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第5回:大仲 千華さん
国連事務局 PKO局 Peacekeeping Best Practices Section勤務



大仲 千華(おおなか ちか):1976年、東京都立川市生まれ。1999年、上智大学比較文化学部卒。オックスフォード大学人類学修士。2001年1月より東ティモールのPKO(国連東ティモール暫定行政機構:UNTAET)で選挙支援活動に従事し、ユネスコ・カザフスタン事務所勤務を経て、2002年度JPOに合格。2004年3月より現職。

Q.いつごろから国連勤務を目指しましたか?

母が障害者支援の仕事をしていたので、小さいころから人の役に立つ仕事をしたいという気持ちがありました。漠然とですが国連を意識したのは、ニュージーランドに留学をした高校2年生の時かも知れません。ある日、仲良くなったブラジル人の友達が、校内活動費の100ドルを両親から送ってもらえず、悩んでいました。しまいには、「高校卒業後は日本に出稼ぎに行きたいから、手伝ってほしい」と真顔で相談されました。同じ人間として生まれてきて、どうしてこんなに境遇が違うのか、世界にある貧富の差や不平等を、このときに初めて体感しました。

Q.その後、国連勤務までのご経歴は。

実は、大学教授になりたいと思った時期もありました。大学生の時、交換留学先の香港で知り合ったアメリカ人の先生の影響を受け、人類学の面白さに目覚めて、博士課程までやるつもりでオックスフォード大学大学院に入学しました。ですが、実際の問題に関与することを極端に避けるように映った人類学のあり方に疑問を持ちました。ただ分析するだけでなく、世界の現実を自分の目で見て、実際に問題解決のために関わりたいと思うようになりました。そして、UNV(国連ボランティア)に応募し、東ティモールで展開されていたPKO、UNTAET(国連東ティモール暫定行政機構)に派遣されることになりました。

Q.国連でのお仕事で、一番面白かったものは。

東ティモールでの選挙支援の仕事ですね。独立を問う99年の住民投票の後、反独立派の民兵による破壊・暴力行為により町の9割が破壊され、多数の被害者が出た上、国連が安全対策を理由に一時撤退したため、人々は暴力を伴う選挙と混乱の最中に撤退した国連に対して不信感を持っていました。私は必死に現地の言語であるテトン語を覚え、テトン語でなぜ憲法や選挙が必要なのか村々を説明して回りました。また、選挙という概念自体が新しく、識字率の低い東ティモールでは、投票の練習をすることも選挙支援の仕事の重要な一部でした。それから、人口や選挙権を確定するための住民登録や、破壊された小学校を利用してゼロから投票所を設立することもしました。村レベルで、人々が実際に何を考えたり、感じているかに触れることのできたこの仕事はとても面白かったです。

紛争後の平和構築において国連が果たせる役割は大きいということも実感できました。私が到着したころの東ティモールは混乱状態でした。交通規則がないので、車は右車線や左車線を両方走るありさまで、法律もなければ取り締まる警察もいない。当時は、米ドルとインドネシア・ルピーの両方が流通していて、為替レートは事実上ブラックマーケットによって決められていました。政府がないということを実感しました。それが、私がいた1年ちょっとの間に、憲法や法律が制定され、議会や内閣が発足するなど国の骨格ができました。そして、学校や、病院、道路が次々に整備され、警察になる若者が訓練を受けている様子をたのもしく思いました。

でも、最初の2か月間は国連での仕事に落胆したんですよ。途上国からのスタッフの中には、現地のことには無関心で、PKOの手当てを目的にいわば出稼ぎに来ているような人も多く、現場の士気が感じられませんでした。しまいには、首都のディリから机や椅子が届くと、いい大人同士で奪い合いに発展する始末でした。

Q.現在はそのPKOを扱うPKO局(DPKO)にお勤めですね。どのような職場なのでしょう。

DPKOは、PKOミッションの監督と側面支援をする部局です。具体的には、PKOの任務がきちんと履行されているか監視し、PKOを実施している国の政情を分析し、必要な助言を行います。車両やコンピュータの手配などの側面支援や、平和維持軍をはじめとする軍事要員や文民警察の派遣のための調整も含まれます。本部ならではの仕事といえば、安保理によって6か月ごとに更新されるPKOの任務の見直しや予算請求に関する加盟国との調整があります。

私が所属するPeacekeeping Best Practices Section (PBPS) は、PKOの主要な課題に関する政策やガイドラインを策定し、その履行を監視しながら、さらに現場の経験を政策に還元させるための制度作りに重点を置いています。最近ではその一環として、現場での成功事例を本部に吸い上げたり、そうした事例を他のミッションと共有したり、問題点などを喚起できるイントラネットを立ち上げました。こうした制度作りは、政策や指針を明文化することによって、本部とフィールドでの意思決定における透明性や説明責任を向上させるための取り組みの一つでもあります。PBPSには現在約30名の職員がおり、制度作りの他、ジェンダー、DDR(武装解除、動員解除、再統合)、HIV/AIDS 、法の支配(rule of law)、行政(civil affairs)などを担当しています。

Q.ご担当分野は。日々どんなお仕事をなさっていますか。

主にDDRのガイドライン策定に携わっています。DDRは治安維持や平和構築のために重要な要素とされ、現在展開中の全ての複合型(multi-dimensional)PKOの任務に含まれています。DDRの対象も、成人男性から子どもや女性にまで広がりました。元兵士の身体的・心理的ケアや元兵士の犯した罪に対する処罰や和解の問題など、付随する問題も出てきています。ところが、これまで多くの国連機関がばらばらにDDRを実施してきたため、効率が悪く、一貫性もありませんでした。国連機関間のDDRの計画や実施、評価をより効果的にするため、UNDP,UNICEF,UNHCRなど14の国連機関と共同で統一した政策や手続き等を含むガイドラインを策定し、現在編集の最終段階にあります。

このガイドラインに基づいたフィールドでのDDRの実施方法についても打ち合わせを始めました。現場のスタッフに対するトレーニング内容をはじめ、共同の予算策定・申請や実施体制の見直しなど国連機関間の構造的な調整についても話し合っています。

Q. DPKOの課題は。

長期的な平和構築への橋渡しをする体制を整えることが肝要だと思います。PKOは、冷戦終結後、軍事要員による停戦合意の監視を主とする伝統的なPKOから、文民によるジェンダー、人権、選挙支援、また、国の制度整備をも含む複合型PKOへと変容してきました。しかしながら、PKOミッションは、安保理で延長が承認される6ヶ月ごとの任務中に、治安維持面でいかに成果を挙げるか、という短期的な視野になりがちでした。しかし、4、5年先を見据えた司法制度や政治制度の整備、安全保障部門改革(SSR)など、長期的な平和の定着のための下地作りも、PKO展開中に並行して実施していく必要があります。DPKOはこの平和構築へ向けた重点事項を定め、履行に携わる関係機関との連携や協調を強化するべきだと思います。

Q. 平和維持、平和構築の分野で日本ができる貢献についてどう考えますか。

和平合意から選挙実施までの約18か月間が、紛争から平和へ移行するための勝負の期間だといわれています。政情が不安定になりがちで、平和が脆弱であるからこそ国際社会のリードが大事な期間でもあります。日本はこのPKOの早期にもっと積極的に貢献してもよいのではないでしょうか。

また、従来の水道や道路敷設等のインフラ整備・ハード面での貢献に加え、元子ども兵士やレイプの被害を受けた女性の心理的ケアなど、今後はソフト面での支援も拡充していってもらいたいです。

Q. これから国連を目指す人たちへ、アドバイスをお願いします。

専門性を身につけることもそうですが、国連の予算の仕組みや手続きなどの国連行政や組織のマネージメントに関しても貪欲に学んでみてください。国連というと華やかなイメージを持つ人が多いかも知れませんが、国連も官僚組織です。この点は一見軽視されがちですが、どれだけいい計画があっても、必要な資金や物資、人員を素早く動員し、適切なタイミングで現場で行動を起こすことができなければものごとは動きません。これは、大規模な物的支援を伴い、チームワークを必要とし、さらに、タイミングが成功を左右することもあるDDRや選挙支援では特に重要です。また、変化の激しい国際情勢を踏まえ、新しい課題にいかに適切に、かつ、効率的に対処するかがより厳しく問われてきている国連において、マネージメントの能力はこれからより重要になってくると思います。

(聞き手:山岸千恵、写真:田瀬和夫)
2006年7月22日掲載 


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