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「東ティモール・スタディーツアー2010 帰国報告会」

2010年11月23日(土)13:00〜16:00於法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー6階610教室

■はじめに■

今回の帰国報告会は、9月5日〜11日の東ティモール・スタディーツアー(TLST)での経験を実行委員会および参加者が改めて振り返ると同時に、学んできたことを広く共有するため企画された。当日は関西在住のツアー参加者もはるばる駆けつけ、フロアと合わせ40名近くの参加があった。 前半は映像を交えたツアー概要説明、参加者3名による報告を行い、対する後半では「対話」を中心に据え、パネルディスカッションやフロアとの意見交換を行った。最後に実行委員会からの総括を行い、締めくくられた。

■スタディーツアーの趣旨と概要■

佐藤萌 ―国連フォーラム紹介とスタディーツアーの位置づけ―(国連フォーラム幹事)

国連フォーラムは、国連に関する議論の場であり、メーリングリスト上での意見交換や、国連本部などにおいて勉強会が行われている。その中で、東ティモール・スタディーツアーは国連フォーラムとして初めて、「国連の活動現場を訪れる」企画として実現した。このツアーがまた今後につながるものであってほしい。

小林真由美 ―ツアーハイライト―(最高裁判所司法研修所新64期司法修習生)

ツアー前には2回事前勉強会を開き、参加者同士の親睦を深めると同時に、東ティモールの現状や訪問機関についての知識を共有した。ツアーの大きな特長は、NMITを構成する様々な国連機関をはじめ、IOM、JICA、現地NGO等から多くのブリーフィングを受けられた点、実際に貧困削減プログラムが実施されている地域を訪問できた点、さらにUNMITのSRSG、シャナナ現首相、大蔵大臣、国会議長など要人と直接面会し話を聞くことができた点である。首相の演説では、「援助に頼らない、自分たちの手による開発」が訴えられており、その満ち溢れるエネルギーに感銘を受けた参加者も少なくなかったようだ。他方、山間部を訪問した際、人々との会話から「援助への依存体質」を感じ、「どこまで開発援助をすべきか」などという問題意識も醸成された。

■3つの視点からのプレゼンテーション■

亀山菜々子 ―人間の安全保障―(東京大学総合文化研究科国際社会科学専攻「人間の安全保障プログラム」)

東ティモールでは、PKOミッションとUN Country Teamとがひとつの「UNMIT」として協働している。カバーすべき範囲が広く、何をもってゴールとするのかが不明瞭になりがちという問題点もあるが、包括的アプローチとして注目できる。また近年日本外交政策の柱としても出される「人間の安全保障」という概念は紛争後の現場ではそれほど言及されておらず、現場での実際に使える概念としてもっと機能すべきと感じる。

奥山陽子 ―開発経済―(東京大学経済学部)

東ティモールは、現在治安も安定してきており、 “Good-by conflict, Welcome development”という標語が示すように、経済開発が国家の優先課題の上位にあがってきている。ただし石油資源に依存する構造から脱却する必要があり、UNMITの2012年のミッション終了後の経済動態にも注目が集まる。

荒木大地 ―環境エネルギー―(大阪大学工学部)tl1

先進工業国は、熱心な技術開発によって「持続可能な」街づくりを模索している。東ティモールでは、先進国の技術を導入することで、 公害・環境破壊問題など社会問題を先に考慮して開発を進められるだろう。また国土が小さいことを活かしエネルギーを「地産地消」 するロスの少ない都市づくりを目指すことも可能ではないか。

 

■パネルディスカッション■

ファシリテーター 中本優太(法政大学法学部長谷川ゼミナール/TLST実行委員会)

プレゼンテーター 赤星聖(神戸大法学研究科国際関係論) ・荒木大地(大阪大工学部環境エネルギー工学)           前田由紀子(水力発電プラントエンジニア)・古賀千絵(千葉大教育学部生涯教育)

(中本)ツアーで東ティモールの山間部(エルメラ県)ポニララ村/レテフォフォ村の2つに分かれて訪問し、千のトイレプロジェクト、ILOの道路建設、識字教室等を視察。現地で感じた問題意識を中心に東ティモールにおける開発援助の是非という題目で、以下3つの小テー マ(@援助の依存A言語政策B民間の力の活用)で議論する。

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■小テーマ@援助依存■

(荒木):ポニララ村に行くと、村人からは屋根修理のための材料がなくトタン屋根がほしいといわれた。周囲にある材料でまかなえるように感じたが、援助を行うことが考える力を奪っているのではないかと思った。

(前田):援助慣れしている状態に衝撃をうけたが国民全員がそう思っているわけではない。シャナナは「国際機関に頼らずに自分たちの力でたちあがろう」と力説していた。

(赤星):「後発国の利益」という話もあるが、それは先進国の追随でしかないかもしれない。東ティモールは今までにないくらい国連がかかわっているのでオーナーシップ等が課題になると思った。

(中本):援助を必要とするか否かというボーダーラインを見極めることは難しい。自分たちが需要を感じて自分たちで作れることが大切ではないか。そもそも援助が本当に必要であるかをよく考えなければならない。

(古賀):工程から関わることによって、現地に適するよう工夫することが重要ではないか。

(フロア):国連の方法はどんなものだったのか。工程を教えるような内容なのか。

(中本): 国連の方も技術移転の重要性について言及されていたが、現場を視察する限りでは上手く実現されていない部分もあるように感じた。 (前田):ILOの道路建設は現地の材料を使い、雇用創出をも見込んだプロジェクトであり、よい方法だと思う。 (参加者):物質的支援は残しつつも、キャパシティービルディングにシフトしていくべき。また東ティモールが援助に含まれる恣意性を見据えて、援助を「利用する」賢明さが必要だと思う。

(古賀):彼らの自発性が大切。なぜその援助が必要なのか、という考える段階から一緒にすべきである。

(フロア):東ティモールは「国」。無政府状態から国連が国造りをしているわけではない。10年間は国連の枠組みで国造りを、ときまっている。国連はそれぞれの機関のノウハウを提供しそれを活用してもらうだけで十分。あとは政府のプライオリティーに任せるべき。

■小テーマA■「言語政策について」

(中本):東ティモールの使用言語は世代によって異なる。だいたい40歳以上はポルトガル語、30代~40代はインドネシア語、それ以降の世代はテトゥン語を使用。一方、公用語はポルトガルとテトゥン語である。政府関係者等はポルトガル語を使用し、市民の日常会話はテトゥン語が一般的。その問題について考えたい。

(古賀):テトゥン語は東ティモール人のアイデンティティの一つ。2004年のギャングの暴動の原因にも、政府のポルトガル語による教育政策があった。教育・文化の上でも重要な言語が紛争の火種になった。

(前田):テトゥン語は、国を作るための言語として十分な言語ではない。日本の明治維新のように法律や医療に関する単語等は概念から作っていく必要がある。だからポルトガル語を使い、徐々にテトゥン語に移行していくことは然り。

(赤星):東ティモールに存在する多様な言語を大切にするのも必要だろう。

(フロア):韓国では、国家公務員は漢字の読み書きも試験科目として課されている。その国が決めた政策を大切にすべき。分離独立の際、以前ポルトガル領だったということで、テトゥン語とポルトガル語を公用語として、ティモールの文化を守ったならそれを大事にすべき。

(中本):もっと社会的な問題に関わってくるという観点でこの問題に着目したい。例えば東ティモールでは国内の検察官や弁護士資格を持った人材を育成しようという取り組みがなされているが、法曹界で使用されるポルトガル語を話せるのは高学歴・高所得層の少数派であり、すなわち法曹の道は一部の人にしか開かれていないことになる。これは医療関係にもいえる。言語によって今後医療や法律といった分野で社会的な問題を引き起こすのではないか。

(フロア):海外で学ぶ医療学生の使用言語はスペイン語だが、診療はテトゥン語で行う。外来語のようにスペイン語を使って形成していけばいいのではないか。

(参加者):テトゥン語の発展を待たずに、医療や教育、法律等を進めなければならない点に難しさがある。問題は例えば国民が薬の取扱説明書を読めないという点にある。「テトゥン語が発展していないからポルトガル語、でも今子どもに薬を与えたいのにポルトガル語が読めない」では解決にならない。テトゥン語の発展とポルトガル語の使用等を同時にやる必要があるところが難しい。

(フロア)テトゥン語しか話せないということは若者の職の道が広がらないことでもある。産業や技術発展にどうつなげていけるのかも課題である。

(フロア):フィリピンはタガログ語と英語を使っている。好例とし、そのような仕組みを考えていくべき。

■B公的援助だけではない民間の力の活用について■

(中本):民間の力をどう活用できるか。東ティモールの産業を含めて考えたい。

(前田):東ティモールは去年やっと有償資金を活用する法律ができた。これを活用できれば大型インフラの整備ができる。またメイン産業はコーヒーしかない印象で高い失業率が窺える。UNMIT撤退後どうなるか、疑問。

(中本):有償資金を活用してのインフラ整備が、東ティモール国内の民間産業の発展に反映されるのか。

(前田):現地に雇用が創出される等のプラスの効果がある。幹線道路なども増えれば発展に繋がる。

(参加者):フェアトレードとはいっても表面的である場合が多いと思う。産業が脆弱な時点での海外との取引にどのような政策が必要か。産業が発展してもそれを取り締まる法制度がない点に問題があるのではないか。契約の内容は契約の当事者の自由によるもので日本政府が入って口出しできるわけではない。東ティモール自身がNOといえる力や環境が必要。

(フロア)医療について、海外で活動するときは、医師免許以外に特別の資格と被支援国からの要請が必要。現地の医療は現地の人たちでやっていくことが必要だが、まず公衆衛生等からはじめる。医療の発展は長い道のり。

■意見交換・質疑応答■

【ツアー全般について】

@ツアー参加にあたってどんな予防接種をしたか?マラリアの予防のために何かしたか?

―予防接種は受けなかった人が多い。体調不良は多少いたが病気になった方はいない。

A現地集合と聞いたが経費は?

―全部自費。募集期間が遅れ少し高めについた(平均約17万)。国連の影響もあり物価自体はそこまで安くない。

【東ティモールの産業について】

@二国間援助(有償資金)、特に民間としてどう入っていくかに興味がある。コーヒー以外に希望の光はあるか。 ―観光業は可能性がある。バリも近く、オーストラリアからダイバーも来る。生活用品等も輸入が多い。地元の人たちの車に対する思いが強い。伝統的織物でタイスがあり、色落ちを改善すれば一つの輸出品になる。石油に頼る以外の輸出入による経済発展を図っている。国内のインフラ発展、キャパビルに石油からの資金を使い海外投資に拍車をかけようとしている。漁業も可能性はあるが管理方法が不衛生。産業構造としては30%農業、30%が畜産。一村一品運動も行われている。

■実行委員会総括■

【成果について】

ツアー前の勉強会で参加者の知識・経験を集約し、ツアーではシャナナ首相の演説訪問を含め国家レベルでの人道支援段階から開発段階への移行期を体感した。現地の人々が政府に直談判する場面を目の当たりにし、自分たちの国を再建しようとする人々に出会えたことは大きかった。そして人とのつながり、視野の深まりは大きな収穫である。現地で夜通し語り明かし、平和構築、開発、人生、キャリア等も含めて新しいアイディアや意見を知り、自分の見解を深められた。 【課題・改善点について】募集時期が遅く(8月告知)平均金額があがった(約11万〜18万)。また実行委員会と参加者の役割分担についても、このツアーは参加者で作るという趣旨であったが役割分担が不明確で一部の人に負担が過度にかかった。またプログラム内容について現地の人との対話、生活を知る機会が少なかった。その他関東と関西の2か所でのコンテンツの共有が困難であった。説明会や勉強会について、今回のものを土台に改善が必要である。来年度実施は前向きに検討中。残された課題として実行委員会の検討(募集、担当等)、プログラムの充実化(実行委員会の体制強化、募集時期や参加者への事前連絡、現地の調整等、事後報告の充実等)がある。

■報告会自体の感想■

(フロア)みなさんの熱い思いを知ることができ、若い力が頼もしいと思った。様々なバックグラウンドを持っている方がいてとても勉強になった

(中本)ゼロベースから始め多くの方にお世話になった。参加者含め多くの人の協力のおかげで現地での調整もスムーズに行うことができ、「参加者全員で作るツアー」だった。平和構築を学ぶと同時に人生における学び、人脈の広がり等の収穫があった。来年の予定は未定だが是非またご協力頂きたい。心よりお礼申し上げたい。

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