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自己紹介 No.22 太田優人

「私がMySPに出会うまで&Post-MySP」

所属:慶應義塾大学法学部政治学科1年
MySP担当班:委員長所属・情報共有

 

1. アジア14か国の同世代との出会い

高校1年の夏、中学の頃からの部活一色だった自分の生活に疑問を感じ、「アジアユース人材育成プログラム」という研修に参加しました。このプログラムは、日本を含めたアジア14か国から数名ずつ高校生が集まり、各界の専門家から環境問題や貧困問題について教わりながら、3週間の共同生活を経験するというものです。ここでの学びや途上国の同世代との交流は、国際開発に関心を抱くきっかけとなりました。また彼らとの衝撃的な出会いは、それまで長野県小県郡や名古屋北西部の郷土史に熱中していた私の視野を一気に世界規模へと広げてくれました。それと同時に狭い日本から抜け出したいという思いが強まり、プログラム終了直後にアメリカへの交換留学を決めました。そして、文科省や留学支援団体の方、先生、親など様々な方から支援を頂き、長い交渉の末校則で認められていなかったセメスター留学を実現しました。

 

2. セメスター留学とバングラデシュ

留学先のアメリカでは、バイブルベルトに位置する保守的な地域にある、リベラルな家庭でホームステイを経験。相反する2つのイデオロギーと同時にふれあっていく中で、ニュースや本などのメディアがいかに私たちのものの見方を支配しているかを目の当たりにしました。そして、この情報化社会の中で、自分の実体験をもって学ぶことの重要性を痛感しました。

この経験が原動力となり、高校2年の3月に単身バングラデシュへと向かいました。これまで受験勉強や部活動の合間を縫って勉強してきた開発学の現場を自分の目で見て学びたかったのです。さっそく滞在先の近くのスラムを訪れると、そこで私を迎えたのは、「がらくた」の中で生活する人々の姿、今まで巡りあったことのない異様な臭気、そして私の周りを囲む小さな子ども達でした。この映画としか思えない世界に入った私は、多くのNGOや国際機関の援助活動が進み、経済成長が続いているにも拘らず、一体何がこの悲惨な状況を生み出し続けているのか全く理解できませんでした。

この疑問に答えのヒントを与えてくれたのは、外出の度に脅威となっていた「ホルタル」という暴力デモでした。このデモは多数の死者を出すほど過激なため、一度発生するとほぼ全ての交通手段はストップし、人々は屋外での活動を放り出して屋内への避難を余儀なくされます。この暴動が頻発する状況に身を置いていた私は、この現状を改善する方法はないのかと考え、急遽JICAバングラデシュ事務所のガバナンス支援担当の方に依頼し、お話を伺う機会を頂きました。そして、政府は市民の要望を反映して十分な支援を行う事など出来ず、むしろ経済活動や援助活動の大きな妨害要因となっているという事実を知らされました。さらに機能不全状態の政府に対する市民の不満は極大化し、それが政府の統治をより困難なものにしているという負のサイクルの存在も実感しました。ここにこそ、私がスラムで抱いた疑問の答えがあるはずだと思ったものの、だからどうすれば良いのかということについては見当がつきませんでした。

 

3. 日本国内での活動

やりきれない気持ちを抱えたまま帰国した私は、バングラデシュで見つけた複雑すぎる課題を避けるかのように日本の政治について関心を抱くようになりました。そしてフラッシュモブを用いた高校生による選挙権啓発企画を実施したり、18歳選挙権実現のための運動を率いて国会議員と未成年のためのシンポジウムを衆議院議員会館で開催したり、夏の参院選挙前に北海道から沖縄までの全国模擬選挙を実施したりしました。活動の規模が大きくなるにつれ多くの人と関わるようになり、より良い社会を築くための手段が自己の利益のために目的化されている状況を目にするようになりました。そうした状況に嫌気がさしたこともあり、一旦表立った活動からは手を引くことにしました。そしてバングラデシュで抱いた志をもう一度取り戻し、国際開発をガバナンス支援の観点から学んでいこうと決めたのです。大学受験を終えてからは「持続可能な開発」関係の活動を始め、3月末には名古屋大学で100人規模のワークショップを企画実行しました。その中ではバングラデシュなど世界6か国の学生とTV会議を行い、これまで自分が学んできた現場志向の大切さを多くの人と共有することができました。そして大学生活に大きな期待を抱きつつ、4月を迎えました。

 

4. MySPとの出会い

しかしいざ大学に入ってみると、自分が思い描いていたものとは全く違う生活が待っていました。国際開発を本格的にかつ実体験をもって学びたいと思っても、なかなかその思いを満たしてくれる環境は見つかりませんでした。そんな中で偶然出会ったのが、「ミャンマーにおける民主化と経済成長」をテーマとする国連フォーラム主催のスタディ・プログラムでした。私はこれこそ自分の待ち望んでいた機会だと思い、すぐに申込みを決めました。

プログラム開始後は、他のメンバーの皆さんに刺激を受けながら毎日楽しく準備を進めさせて頂いています。そして来るミャンマー渡航では、バングラデシュで経験した以来の衝撃を受けられることが楽しみで仕方がありません。

 

5. Post-MySP

最後に、この素晴らしいプログラムを今後どう生かしていくかまとめておきます。MySPはその名の通り「Study Program」というinput目的の場であって、何か自分が問題解決のために行動を起こすoutputの場ではありません。その観点から、MySPで得たものを自分がこれから行うoutputに総動員したいと思っています。具体的には、今運営している「International Development Youth Forum」という国際会議や「国際開発プランニングコンテスト」において、自分がMySPで得たものを社会全体に共有していきたいです。またJCIとの協力のもと、カンボジア農村部でPTA設立と職業訓練を通した教育の質向上プロジェクトを立ち上げようとしています。そちらのプロジェクトでも自分がMySPで得たものを実際の問題解決に生かしていきたいです。

 

 

 

 

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